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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

人を啓発するということは、先方で一歩足をこちらの領分へ踏み込んだ時に手を出して援(たす)ける時に限る(『断片』大正4年より)

 

明治29年4月、愛媛県尋常中学卒業記念写真。前から3列目の左から2人目が漱石。『坊っちやん』の赤シャツのモデルともいわれる横地石太郎(2列目右から4人目)、晩年の漱石の主治医となる真鍋嘉一郎(1列目右から3人目)の姿もある。写真/神奈川近代文学館所蔵

明治29年4月、愛媛県尋常中学卒業記念写真。前から3列目の左から2人目が漱石。『坊っちやん』の赤シャツのモデルともいわれる横地石太郎(2列目右から4人目)、晩年の漱石の主治医となる真鍋嘉一郎(1列目右から3人目)の姿もある。写真/県立神奈川近代文学館所蔵


【1896年3月30日の漱石】

今から120 年前の今日、すなわち明治29年(1896)3月30日、愛媛県尋常中学校(松山中学)は卒業式を迎えていた。数え30歳の漱石も、同校の英語教師として出席した。東京からひとり愛媛に移り、松山着任から丸1年が経過した。このときすでに、漱石は熊本五高へ転任することが決まっており、漱石の転任は卒業式の中で生徒たちにも伝えられた。

漱石自身も生徒たちに、ひとこと挨拶した。

「自分は松山を去る者だが…」 そう前置きして、漱石はこんなことを言った。

「学問であろうが、芸術であろうが、ひと苦労せねばできあがるものではない」

半年ほど前、生徒たちのストライキで、同校の住田登校長が辞任に追い込まれるという事件があった。漱石はこのことで、生徒たちのやり方に不快の念を覚えていた。一部の生徒のグループに、学生の本分を置き去りにし、県会議員などを後ろ楯として無闇に威張り散らしているところが見受けられたのであった。いわゆる、虎の威を借る狐。漱石のもっとも嫌うやり口だった。

そんなふうだから、生徒たちはなかなか教師にも心服しない。漱石のような新任教師などは恰好の攻撃目標だったろう。だが、漱石先生は一枚うわて。当時の教え子のひとり山本信博が、「その頃の松中は、全くの乱脈時代」としながら、こんなふうに回想している。

《当時卒業生中の腕白者数名が、新米先生を冷かしてやろうぐらいの意味を以て、先生の下宿を訪問したが、僅(わずか)に三十分か一時間の談話中に、何か知らん感心させられてしまって、虎の如くにして往(い)った者が、猫の如くになって帰って来た事もあった》(『松山から熊本』)

教養の深さも懐の深さも、その度合いが、そこらの新米教師とは格段に違う。中学OBの腕白者ぐらいが歯が立つ相手ではなかったのである。

漱石は、自身の後任教師として松山にやってくることが決まった玉虫一郎一(たまむし・いちろういち)にも、こんな手紙を書き送って注意を促している。

《今回は御友人の御勧めにて御地中学校へ御転任のよし、奉拝珍重(ほうはいちんちょう)。松山中学の生徒は出来ぬ癖に随分生意気に御座候間、なるべくきびしく御教授相成度(あいなりたく)と存候》

松山に転任を決めた相手の気持ちを珍重なるここと拝したてまつりながら、生徒は出来が悪いくせに生意気だから厳しく指導した方がよいと、ぴしゃりと直言。漱石先生、去り際まで、かなりのご立腹なのである。

とはいえ、こんな生意気な生徒たちのふるまいが、のちに名作『坊っちゃん』を生む下地になったことを思うと、漱石作品の愛読者としては、彼らに感謝したい気持ちもわいてこないではない。

その『坊っちゃん』の中で、道後温泉を「住田の湯」としたのは、辞任に追い込まれた校長に対する、漱石先生の同情の念のあらわれだったのかもしれない。

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 

文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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