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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

どうして自分のことを知らない人間がいるだろうか、などという者に、誠実にその心の歴史を書かせてみよ。必ずや、自らを知らないことに驚くだろう(『人生』より)

 

『心』の単行本出版は、岩波書店の出発点ともなった。装幀デザインも漱石自身が手がけた。写真/神奈川近代文学館所蔵

『心』の単行本出版は、岩波書店の出発点ともなった。装幀デザインも漱石自身が手がけた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵


【1914年3月29日の漱石】

今から102 年前の今日、すなわち大正3年(1914)3月29日、数え47歳の漱石は、翌月20日から新聞紙上に連載を始める小説の構想に頭を悩ませていた。掲載開始の時期から逆算して、4月10日頃からは原稿を起こしていく必要があった。

題名は『心』とした(のち、『こころ』または『こゝろ』とも表記される)。

翌3月30日付で、東京朝日新聞社内の担当者である文芸部長の山本松之助へ、手紙でその旨を知らせて、漱石は綴る。

《今度は短篇をいくつか書いてみたいと思います、その一つ一つには違った名前をつけて行く積(つもり)ですが、予告の必要上、全体の題が御入用(おいりよう)かとも存じます故(ゆえ)、それを「心」と致して置きます》

「今度は」という言い方からして、漱石が意図していたのは、2年前の小説『彼岸過迄』のように、登場人物を同じくする短篇を語り手を変えるなどして連ねていきながら、ひとつの長篇を織りなすというスタイルではない。異なる題名を付した、内容的にも独立した短篇小説をいくつか書いていく。その総タイトルを『心』とする。この段階では、漱石はそのように考えていたことがうかがえる。その総タイトル『心』でくくられる中の、最初の短篇の題名が『先生の遺書』だった。

ところが、実際に書き出してみると、様子が違っていく。最初の「短篇」が、書きながらどんどん複雑化し、奥行きを加えていかざるを得ないことになっていく。そうして、とうとうそのまま、ひとつの長篇として仕立てられていくことになってしまったのだった。

誰でもない、自分自身で書いているのに、時として思わぬ展開の仕方をする。まるで登場人物がそれ自身で生きているように、作者の思惑を超越して、行動したり喋ったりしはじめる。小説の書き手たちが時折、述懐するところである。

まあ、しかし、作者である漱石本人の構想を裏切るような進み方も、人間の「心」という厄介で不可思議なものをテーマとしたこの作品には、かえってふさわしいものだったと思えるのである。

ちなみに、この連載小説『心』をまとめた単行本を漱石は自費出版という形で岩波書店から刊行するが、岩波書店はもともと漱石の門下生のひとり岩波茂雄が始めた古書店であり、出版社として初めて刊行した単行本が『心』であった。

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。  

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