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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

いたずらな用心深さは、人格を下落させる。いわゆる用心家を見ていると、親友とするに足らず、大事を託すべき相手とも思えない(『書簡』明治39年7月24日より)

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一高時代、数え20歳の漱石(前列左から2番目)と、後列右から3番目が中村是公(明治19年6月撮影)。写真/日本近代文学館蔵


【1909年3月5日の漱石】

今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)3月5日、数え43歳の漱石は、大阪朝日新聞の鳥居素川からの依頼に応え、原稿を書こうとしていた。

この年の始めから新聞紙上に発表してきた読み切り連作『永日小品』(えいじつしょうひん)の続きで、もう1篇何か書いてほしいという注文を受けていた。漱石は実業家で政治家の中村是公との交遊関係を材にして、短い随筆的作品を仕立てることにした(ちなみに、「是公」は「よしこと」と読むのが正式とされるが、周囲では普段「ぜこう」「ぜこうさん」と呼び習わしていた)。

《二人は二畳敷の二階に机を並べていた。その畳の色の赤黒く光った様子がありありと、二十余年後の今日までも、眼の底に残っている。部屋は北向で、高さ二尺に足らぬ小窓を前に、二人が肩と肩を喰っ附(くっつ)ける程窮屈な姿勢で下調(したしらべ)をした》

そんな一文で、大学予備門(のちの一高)時代にふたりが同室だったことから書き起こし、その後、ともに私塾(江東義塾)で教師として働いていたこと、その給料をごちゃまぜに机の上において予備門の月謝や宿料、食費、小遣いなどに当てていたこと、是公がボート競技で優勝した記念の賞金で漱石に『ハムレット』の本を買ってくれたことなど、青春期の瑞々しい思い出を綴(つづ)っていく。

さらには、ロンドン留学中に久しぶりに再会したこと、2か月前に突然、会いたいから築地の料亭まで出てこいと言われたが、当日のことで都合がつかず会えなかったこと、なども書いた。

そして、結びの一文。

《昔の中村は満鉄の総裁になった。昔の自分は小説家になった。満鉄の総裁とはどんな事をするものかまるで知らない。中村も自分の小説を未(いま)だかつて一頁も読んだ事はなかろう》

余計な飾り物のない友情のひとつの形が、淡い調子で描き出されていた。副題は「変化」とした。漱石先生と中村是公の、さりげないが、利害抜きに互いを思い合う関係がとてもいい。こんな友だちを持てたら、それだけで、人生は豊かになる。なにものにも代えがたい財産といえるだろう。

漱石の次男の伸六も、のちに『父・漱石とその周辺』の中でこんなふうに綴っている。

《恐らく、父が死ぬまで「お前、お前」と呼び捨てにしながら、学生時代と少しも変わらぬ親しさを以(も)って、附合(つきあ)うことの出来た相手は、中村是公さん以外に誰も居なかったのではないかと思う》

中村是公は漱石の没後も、毎年晩秋になると、趣味の狩猟の獲物の雉子(きじ)や山鳥を、亡友の家族のもとへ届けてくれたという。

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

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