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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

詩歌俳諧とも、厭味のあるものに美しいものはない(『愚見数則』より)

正岡子規が滞在した愚陀仏庵の1階居室。庵の名は、漱石のもうひとつの俳号「愚陀仏」に由来する。《愚陀仏は主の名なり冬籠 漱石》。写真/神奈川近代文学館蔵

正岡子規が滞在した愚陀仏庵の1階居室。庵の名は、漱石のもうひとつの俳号「愚陀仏」に由来する。《愚陀仏は主の名なり冬籠 漱石》。写真/県立神奈川近代文学館所蔵


【1896年3月1日の漱石】

今から120 年前の今日、すなわち明治29年(1896)3月1日、数え30歳の漱石は中学校の英語教師として単身、四国の松山にいた。松山出身で正岡子規門下の俳人である高浜虚子が、この頃、次兄・弥源太の病気見舞いのため、ちょうど松山に里帰りをしていた。漱石と虚子はしばしば誘い合わせ、一緒に道後温泉に出かけたり、料理旅館の鮒屋(ふなや)で西洋料理を出しはじめたと聞いて食べにいき、黒く堅い肉を頬張ったりしていた。

この日の漱石と虚子は、俳人仲間の村上霽月(むらかみ・せいげつ)のもとを訪れ、3人で、仙人の心境になって空想、幻想、理想などの要素を取り入れた、ちょっと神秘的で浮世離れした趣のある「神仙体」の俳句を生み出そうとしていた。

こんな句会が持たれたのは、子規の置き土産のようなものだった。

前年の春、日清戦争末期の中国大陸に従軍記者として渡った子規は、帰国の船中で激しい喀血をし、神戸で入院生活を送ったあと、療養のため漱石の松山での下宿先「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」に52日間にわたって同居した。「愚陀仏庵」は、松山市二番町にあった上野義方邸の離れ。2階建ての建物で、上下とも6畳と4畳半(3畳半ともいわれる)のふた間があった。漱石はそれまで使っていた1階を子規に明け渡し、自身は2階に移ったという。

愚陀仏庵の子規は、仲間を集めて盛んに句会を開いた。漱石の留守中もかまわず句友がつどい、鰻の出前をとって食べたりしていた。漱石は学校の勤めから帰ると、2階に上がり翌日の講義の下調べをしたり読書をしたりして過ごすことが多かったが、階下に降りて、俳人仲間にまじって句作に興じることもあった。

漱石と村上霽月との交流も、このときから生まれた。その余熱が、子規が東京に戻り、半年近い月日が経過したこの日までも、残っているようであった。

高浜虚子と村上霽月と漱石。3人が集ったこの日の句会で漱石が詠んだ句は、たとえばこんなものだった。

《春の夜の琵琶聞えけり天女の祠(し)》

《どこやらで我名(わがな)よぶなり春の山》

《真倒(またお)しに久米仙降るや春の雲》

天女の奏でる琵琶の音が祠(ほこら)から聞こえてきたり、遠くの山から自分の名を呼ぶ声が聞こえてきたりして、最後は、空を飛んでいる途中、川で衣を洗う女の脛(すね)を見て墜落してしまったという久米仙人(くめのせんにん)の話を句に仕立てているあたりが、漱石のユーモアだろう。

なお、2番目の句は、その後、森鴎外が主宰する雑誌『めさまし草』にも掲載された。思えば、漱石が東京・根岸の子規庵で初めて鴎外と顔を合わせたのは、この2か月前の1月3日のことであった。

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

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