『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

人は自分のもっている才能をできるだけ働かせなくちゃ嘘だ(『心』より)

大塚楠緒子(1875~1910)。名前の読みは「くすおこ」とも「なおこ」とも伝えられる。小説の他、和歌や翻訳、絵画、ピアノ、料理などを得意とする多才さだった。写真/日本近代文学館蔵

大塚楠緒子(1875~1910)。名前の読みは「くすおこ」とも「なおこ」とも伝えられる。小説の他、和歌や翻訳、絵画、ピアノ、料理などを得意とする多才さだった。写真/日本近代文学館蔵

 

【1908年2月29日の漱石】

今から106年前の今日、すなわち明治41年(1908)2月29日、漱石は朝から1通の手紙をしたためていた。

《かねて願いました小説は、正月から掲載のはずのところ、色々な事情が出来上りまして私が大阪の方へかく事になり、それを東京へも載せる事になりました。それがため、あなたの方もそれぎりに放り出して置いた訳で、はなはだ申訳がありません(略)相談の結果、近日社から人を御宅へ出して、改めて願う事に致して置きました》

名宛人は女流作家の大塚楠緒子(おおつか・くすおこ/なおこ)。漱石の友人で美学者の大塚保治(やすじ)の妻たる人でもあった。才色兼備の誉れ高く、若き日の漱石も秘かな好意を寄せたことがあったともいわれる。実際、ある日の漱石先生、妻の鏡子に向かっても、大塚夫妻の結婚式に出席した時の話を披露しながら、「あれは俺の理想の美人だよ」などと口にした。これには鏡子の方が、「この人ったら、要らぬことまで口にして」と、少しばかりやきもちを焼くのだった。

時を経て、東京朝日新聞の小説記者にして編集顧問のような役割も担っている漱石は、社の了解を得て、作家としての楠緒子に連載小説をお願いしたいという下話をしていた。当初それは、この1月1日から東京朝日新聞紙上に掲載する計画だった。ところが、最終的に話をつめる直前、思わぬ形で事態が変遷した。

10月末に『虞美人草』の連載を終えたばかりの漱石は、当初、しばらくは長篇連載小説の筆は休め、単発の批評文を綴(つづ)ったり、編集上の相談に携わったりしながら次回作の準備をしたいと思っていた。だが12月10日、大阪朝日新聞が漱石に、年明けから30日以上続くような連載ものを書いてほしいと言ってきた。小説でなくともよいからとの強い要望で、断りきれずに引き受けた。が、それだけ長いものとなると、やはり小説以外には適当なテーマが思い浮かばない。ちょうど素材となる話を持ち込んできた青年がいたこともあり、漱石は急ぎ小説『坑夫』の稿を起こす。すると、東京朝日新聞も、折角だから漱石のその小説を掲載したいと言い出す。そんなことで、楠緒子の連載小説の話がいったん宙に浮いてしまったのだ。

漱石は慌ただしく執筆を続ける一方で、楠緒子の連載小説の掲載をどのように処置したらいいか気にかけていて、新聞社の方に相談した。その結果として、近日中に改めて楠緒子のもとへ担当者が足を運び、打ち合わせしてもらうことになった。そのことを、この手紙で連絡したのだった。

大塚楠緒子の小説『空薫(そらだき)』は、結局、『坑夫』連載の終わったあと、4月27日から東京朝日新聞に掲載されることになる。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

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