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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

死を忘れるものは贅沢になる(『虞美人草』より)

池辺三山(1864~1912)。明治期を代表するジャーナリストとして論壇をリード。朝日新聞の礎を築いた。写真/日本近代文学館蔵

池辺三山(1864~1912)。明治期を代表するジャーナリストとして論壇をリード。朝日新聞の礎を築いた。写真/日本近代文学館蔵


【1912年2月28日の漱石】

朝から生暖かい風が吹いていた。それが夜になっても吹き荒れている。今から104年前の今日、明治45年(1912)2月28日のことだった。

この夜、漱石はいつもより早く、掛け蒲団を1枚外して床に就いた。しかし、なぜか、なかなか寝つけない。すると、深夜11時頃になって、門を揺り動かして突然の使いが訪れた。もたらされたのは、東京朝日新聞の主筆をつとめていた畏友・池辺三山(いけべ・さんざん)の訃報であった。

漱石は白い毛布をはねのけて飛び起きた。妻・鏡子の介添えですぐに衣服を改め、人力車を頼んで牛込区若松町(現・新宿区若松町)の池辺邸へと向かった。

見上げる空には、気味の悪い灰色の雲がふた筋、月を覆い隠すようにして横たわっていた。

三山の亡骸は白い布で包まれ、その上へ普段きていた黒紋付がかけてあった。漱石は、僧侶の読経の声を聞きながら枕辺に寄り、三山の顔にかけてあった白い晒(さらし)をめくり上げた。刈り込んだひげに白髪が入り交じっているその顔つきは、いつもと何ら変わるところのないように見受けられた。ただ、頬には血の気がなく冷たく青ざめていた。享年49。

漱石が生前の三山と最後に会ったのは、ひと月ほど前、三山の母親の葬儀の日だった。ちょうど棺が門を出ようとするところで、漱石は門の脇に控え、葬列の三山と、ただ互いに黙礼をした。

そのとき、ひとことの言葉も交わさなかったことを、漱石はいま痛切に、なんとも心残りに思い出すのであった。突然の、そして永遠の、友との別れだった。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 
文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

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