『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。
■今日の漱石「心の言葉」
我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべき道を妨げない(『私の個人主義』より)
【1911年2月26日の漱石】
今から105年前の今日、すなわち明治44年(1911)2月26日、数え45歳の漱石は久方ぶりに自宅へ帰った。胃潰瘍のため転地療養した伊豆・修善寺で倒れ、東京・内幸町の長与胃腸病院に舞い戻り、しばし入院していたのだった。
この日を退院日と決めたのは、漱石の妻・鏡子。日頃から信奉する占い師(通称「天狗」)によって「この日がよかろう」と進言されたためだった。漱石本人は占いを信奉していたわけではないが、鏡子が占いに凝ることまでは否定しきっていなかった。
自宅に帰って、漱石はびっくりした。なんと、部屋に電灯が引かれていたのである。
それまで夏目家では、夜は石油ランプや行灯(あんどん)で明かりをとっていた。子供が倒したりすると危険なので、鏡子は以前から電灯に切り換えたいと言っていたが、漱石は「贅沢だ」と受け入れなかった。一向に埒(らち)があかないので、鏡子は漱石の入院中にさっさと電灯を引いてしまったのである。料金は一灯1円だった。
漱石はただ呆れたように、「うちの細君は御大名だよ」とつぶやくのであった。
このあたり、漱石が明治の厳父らしく威張っているようで、その実、鏡子が財布の紐と家庭生活の実権を握っていることがうかがえて、なんだかおかしくも微笑ましい。とはいえ、便利で明るいのは漱石も嬉しかったのだろう。長女の筆子は、『夏目漱石の「猫」の娘』と題する一文の中で、こんなふうに回想している。
《今から思えば十燭光かそこいらの手洗や廊下につける程度の明るさなのですが、私達はその明るさにびっくりしたものでした。スイッチ一つひねればつくという簡便さと、何よりも上からぶら下っているという事が魅力でした。(略)喜んで部屋中走りまわっている私達を、眺めながら、にこにこしている父をなつかしく想い出します》
結果として、妻の決断と実行を大らかに受け入れ、ご満悦の漱石先生なのだった。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。
