『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。
■今日の漱石「心の言葉」
心の持ち方、物の観方によって、十人十色さまざまの世界ができ、さまざまの世界観が成り立つ(『創作家の態度』より)

漱石の妻・鏡子は料理が苦手で、門下生が集まると料理店から「鴨鍋」を取り寄せてふるまうことが多かった。
【1908年2月13日の漱石】
今から108年前の今日、すなわち明治41年(1908)2月13日、時計の針が午後3時を回った頃、東京・早稲田南町の漱石山房にひとり、またひとりと、青年たちがやってきた。野村伝四、小宮豊隆、野上豊一郎、森巻吉…。この日は木曜日。漱石山房で木曜会が催される日であり、例によって、漱石の門弟たちが集ってきているのだった。
漱石の妻・鏡子は裁縫はお手のものだが、料理があまり得意ではなかった。木曜会などで大勢の人が集まった時には、準備も大変なので、牛込神楽坂の鳥料理店「川鉄」から取り寄せた鴨鍋を囲むことが多かった。若い人たちは、煮えるのを待ちかねて、生煮えのネギや鴨を、汗をかきながら頬張っていたという。
この日の献立が鴨鍋であったかどうか定かではないが、食膳には、同じ漱石門下の岡田耕三が送ってくれた蒲鉾も供されていた。耕三は体調を崩し、療養のため小田原に滞在していた。名産の大きな蒲鉾が山房に届いたのは、この3日前だった。
漱石にとって、若い人たちと話をしながら御馳走を食べるのは大きな楽しみのひとつだった。この日は、結婚したばかりの野村伝四が、何かにつけて槍玉にあげられ、皆から大いに冷やかされた。
夜になって、宝生流能楽師の宝生新(ほうしょう・しん)が姿を見せた。予告通り、見事な謡(うたい)の「実盛」を披露してくれたのだった。その後は、皆で趣向を凝らした福引をした。たとえば、小宮豊隆が引いたクジには、「炉塞いで人にくれたる庵かな」という句が書かれていた。これは、人に庵をくれて行脚に出ることを詠んだ句で、景品は草鞋(わらじ)だった。趣味と教養に裏打ちされた、漱石山房の愉しい集いのひとときであった。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
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文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。
