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大量吐血で入院中の夏目漱石、担当医にこわごわ回復具合を尋ねる。【日めくり漱石/2月10日】

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

根気づくでおいでなさい。世の中は根気の前に頭を下げることを知っています(『書簡』大正5年8月24日より)

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 

【1911年2月10日の漱石】

今から105年前の今日、すなわち明治44年(1911)2月10日、数え45歳の漱石は、東京・内幸町の長与胃腸病院に入院していた。この日は平山金蔵院長の回診日。平山金蔵は、前の病院長である長与称吉が亡くなったため、さきごろ新しく病院長になった人だった。

病室に現れ、ひと通りの診察をすませた平山院長に向かって漱石は恐る恐る尋ねた。

「もう腹で呼吸しても差し支えないでしょうか?」

院長は答える。「もう差し支えありません」

「では、少しくらい声を出して…」 漱石は一瞬、間をおいて思い切って続けた。「たとえば謡(うたい)などをうたっても危険はありますまいか」

「もういいでしょう。少し馴らしてご覧なさい」

院長の言葉に、漱石はここぞとばかり畳みかけていく。「毎日、30分とか1時間くらいずつやっても危険はないですね」

「ないと思います」院長は答えた。「もしあるとすれば、謡くらいやめていたって、やはり危険はくるのですから、治る以上はそのくらいのことはやっても構わないと言わなければなりません」

漱石は、この答えに大いに満足した。思わず笑顔になって礼を言った。体調の回復とともに時間を持て余し、趣味の謡をやりたくてうずうずしていたのだ。それだけ元気になった証拠でもあったが、そんな漱石を妻の鏡子が制止していた。数日前から、謡の教本を病院に持ってくるよう漱石に頼まれていたのだが、「まだ、おやめになってください」と止めていた。

5か月余り前、漱石は伊豆の修善寺で大量に吐血し、ほとんど死にかけていたのだから、鏡子が心配するのも無理はなかった。彼女がよく相談事をする占い師の「天狗」も、反対していた。修善寺に付き添っていた担当医の森成麟造も、無理はしてほしくないので、鏡子に味方していた。

そんな状況下で、半分は「駄目もと」で院長に尋ねてみた漱石だったが、予想以上の嬉しい診断を得た。漱石はさっそく、鏡子あてに手紙をしたためて院長との会話を逐一記し、こう書き添えた。

《右談話の正確なる事は看護婦町井いし子嬢の堅く保証するところに候。して見ると、無暗(むやみ)に天狗と森成大家ばかりを信用されては、亭主程可哀想なものは又とあるまじき悲運に陥る次第、何卒此手紙届き次第御改心の上、万事夫に都合よき様御取計被下度(くだされたく)候》

皆に反対されていたのが、院長のひとことで一気に形勢逆転。ちょっと得意気に胸をそらす漱石先生だった。

【特別展「100年目に出会う 夏目漱石」開催案内】
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 
文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

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