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夏目漱石、絶賛したある小説家の訃報に己の余命を意識する。【日めくり漱石/2月9日】

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

こればかりは本当に寿命ですからね。生まれた時にちゃんときまった年数をもらってくるんだから仕方がない(『心』より)

リサイズ長塚節「土」

漱石が自分の娘に読ませたいと絶賛した長塚節の長編小説「土」(新潮文庫)。

 
【1915年2月9日の漱石】

今から101 年前の今日、すなわち大正4年(1915)2月9日、漱石は悲しい知らせを受け取っていた。精神科医で歌人の斎藤茂吉から、歌人で小説家の長塚節(ながつか・たかし)の訃報が届けられたのであった。節は口頭結核のため、少し前から九州帝大医科大学病院に入院中だったが、2月8日午前10時10分、同院の隔離病棟第6号室において息を引き取った。数え37歳の若い死だった。

節ははじめ、正岡子規に学んで写生の精神を基礎とした短歌を詠んでいた。その後、写生文から小説へも手を染めていった。雑誌『ホトトギス』に掲載された写生文『佐渡ケ島』に注目した漱石からの依頼を受け、東京朝日新聞紙上に小説『土』を連載したこともあった。「若い人に似合わず落ち着き払っていて、行くべき路を行っている」というのが、漱石の節に対する評価だった。『土』の単行本化に当たって、漱石はこんな序文も寄せている。

《或者は何故長塚君はこんな読みづらいものを書いたのだと疑がふかも知れない。そんな人に対して余はたゞ一言、斯様な生活をしている人間が、我々と同時代に、しかも帝都を去る程遠からぬ田舎に住んで居るといふ悲惨な事実を、ひしと一度は胸の底に抱き締めて見たら、公等(あなたがた)の是から先の人生観の上に、又公等の日常の行動の上に、何かの参考として利益を与へはしまいかと聞きたい。(略)余の娘が年頃になつて、音楽会がどうだの、帝国座がどうだのと云ひ募る時分になつたら、余は是非此『土』を読ましたいと思って居る》(『「土」に就て』)

最上のほめ言葉だろう。漱石は実際、自分の娘たちに原稿枚数にして六百数十枚に及ぶこの長編小説『土』を読むようにすすめたという。

筆者は以前、茨城県の常総市にある長塚節の生家を訪れたことがある。そこには、節が特注で作った机が残されていた。材は欅。右側の硯を置く部分だけを水平にし、あとは手前下がりに若干の傾斜がつく。小ぶりだが実用的なその机は、非常に几帳面だったという節の性格を如実に伝えているようだった。

斎藤茂吉は歌人として長塚節と交流があった。一方で、漱石は、ロンドンから帰国する折、茂吉の義父に当たる斎藤紀一(精神科医)と同じ船に乗り合わせるという偶然の体験も有していた。

漱石は茂吉に返書をしたためた。節の訃報を届けてくれたことへの礼を述べ、《惜しいことを致しました》と綴った。じつは、漱石のもとには、この前日、福岡からいち早く電報で知らせが入っていた。そもそも、節の病が治癒することを願い、耳鼻咽喉学の先駆者である九州帝大医科大学の久保猪之吉博士を紹介したのは、他でもない、漱石だったのである。

漱石はこの後、新聞に掲載する節の死亡広告に名前を連ねてほしいという茂吉の依頼にも、「そのくらいのことで彼への好意を示せるなら嬉しい」とふたつ返事で了解した。

漱石先生、数え49歳。自らの健康の衰えもあり、死を身近に感じている今日この頃だった。節が己の死を意識して詠んだこんな歌も、ふと漱石先生の頭の中をよぎっていただろうか。

《こほろぎは  はかなき虫か  柊の はなが散りても  驚きぬべし》

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

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