『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。
■今日の漱石「心の言葉」
生まれぬ先を思え。死んだ後を考えよ(『愚見数則』より)
【1900年2月6日の漱石】
今から116年前の今日、すなわち明治33年(1900)2月6日、漱石は熊本にいた。英語教師として熊本へ赴任してきて、まもなく丸4年を迎えようとしていた。内坪井町の自宅には、生後8か月の長女・筆子がいる。新婚当初は不慣れな田舎の生活に戸惑うばかりだった漱石の妻・鏡子も、ようやく落ち着いてきていた。漱石は、なかなかの子煩悩。よく赤ん坊の筆子を膝の上にのせて可愛がり、「もう17年たつと、これが18になって、俺が50になるんだ」と、ひとりごとのように呟いていたという。
この日、東京・根岸の正岡子規のもとに、漱石から大きな金柑(きんかん)が届いた。子規はもともとが果物好き。その大きさだけでも、見たら喜ぶはず。そう思って漱石が熊本から送ったものであった。漱石の脳裏には、友の驚き喜ぶ顔がありありと浮かんでいた。金柑は、喉や咳に薬効があるともいわれる。病を抱えた子規の体のために、多少なりとよい働きがあればいいな、との思いもあっただろう。子規の病勢は、時とともに進んでいた。
漱石からの金柑が届き、子規は12日の夜、病臥しながら礼状をしたためた。
《金柑御送被下(おおくりくだされ)候由(よし)ノ御手紙に接シ何事カト少シ怪ミ候処、大金柑ニ接シ皆々驚キ申候。鳴雪翁ヒネリマハシテ見テ曰ク、ドウシテモ金柑ヂヤ外ノ者ヂヤナイ。(略)小生曰ク、コノ金柑ヲ寒イ処ヘ植ルト小サクナルノデアロウ。皆々曰ク、マサカ》
病床の子規を慕って子規庵に集う仲間たちが、漱石から届いた大きな金柑を囲んで、楽しく会話を交わしている様子が目に浮かんでくる。書きながら、子規の胸にはこみ上げるものがあって、礼状はいつか長い手紙になっていった。
《今年ノ夏、君ガ上京シテ、僕ノ内ヘ来テ顔ヲ合セタラ、ナドヽ考ヘタトキニ泪ガ出ル。ケレド僕ガ最早(モハヤ)再ビ君ニ逢ハレヌナドヽ思フテ居ルノデハナイ。シカシナガラ君心配ナドスルニ及バンヨ。君ト実際顔ヲ合セタカラトテ僕ハ無論泣ク気遣ヒハナイ。空想デ考ヘタ時ニ却ツテ泣クノダ》
漱石が受け取った手紙は、子規の涙でところどころが滲んでいた。それを読む漱石の目にも、思わず涙が浮かぶ。
子規から筆子の初節句のために、三人官女の雛人形が送られてきたのは、この少し後のことであった。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
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文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。
