『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。
■今日の漱石「心の言葉」
叱られたとて、己の値打ちが下がったと思う必要はない。褒められたとて、値打ちが上がったと、得意になってはいけない(『愚見数則』より)

自身が起こした心中未遂事件を題材にした森田草平の文壇デビュー作『煤煙』(岩波文庫)。
【1909年2月4日の漱石】
今から107年前の今日、すなわち明治42年(1909)2月4日、東京・早稲田南町の漱石山房には、親友・正岡子規の門弟で俳人の坂本四方太や、漱石の門下生である小宮豊隆が遊びにきていた。会話はいつしか、朝日新聞紙上に連載中の森田草平の小説『煤烟』(ばいえん)におよんだ。草平も漱石の門下生のひとりであり、『煤烟』は漱石のお膳立てで新聞連載が実現した作品だった。おおむね好評で滑り出していたのだが、連載の7話に入ったところでどうも調子がおかしくなっていた。
「今まで彼を大いに担いで褒め称えてきたのですが、これでは、担いできた方が困ります」と坂本四方太が言うと、小宮豊隆も賛同し、「7話の、あの会話はいただけない」と言い出した。
漱石も相槌を打ちながら、ちょっと困惑したように言った。「森田のことだから、忠告すれば元気阻喪しそうだし、忠告しなければますますあんなふうに会話を書くだろう。どうしたもんか…」
森田草平という男、お調子者なのに、妙に傷つきやすい。へたな注意の仕方をすると、筆がぴたりと止まってしまうなんてことにもなりかねない。といって、漱石としては、読者への責任も感じている。本人のためにも、ほおっておくわけにはいかない。
なお様子を見ながら思案の末、漱石はこの3日後、草平へ手紙を書いた。
まずは《一から六迄はうまい》と褒める。そうしておいて、7話の上調子の会話や主人公を客観視できていない書きぶりを指摘し、《御注意ありたし》と綴る。そのうえでさらに、《今日の所持ち直しの気味なり》とやや持ち上げ、《猶 御努力可然(しかるべく)候》と励ますように付け加えた。
褒めて、注意して、持ち上げ、背中を押す。漱石先生ならではの、なんとも細かい心配りの利いた手紙だった。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
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文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。
