『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。
■今日の漱石「心の言葉」
方針はそれぞれ勝手である。黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差し控えるのが礼儀だ(『草枕』より)

世界文化遺産にも登録されている、ロンドンのセント・ジェームズ公園西端にあるバッキンガム宮殿。
【1901年2月2日の漱石】
今から115年前の今日、すなわち明治34年(1901)2月2日、ロンドンの朝は冷たい風が吹きつけていた。漱石は、下宿の主人ミスター・ブレットに連れられて、地下鉄へと乗り込んだ。ふたりを載せた車両は、やがてバッキンガム宮殿の正面に隣接しているマーブル・アーチ駅へと到着した。ホームは大変な混雑ぶりである。ブレットは「これじゃどうしようもないから、次の駅まで行こう」と提案。ふたりは、ひとつ先のランカスター・ゲート駅を目指した。
ランカスター・ゲート駅で降車したら、ハイド・パークへ向かう。広々とした公園の中も大勢の人出で、樹々の上までのぼった人で埋まっている。漱石は驚嘆しつつ、胸の内で呟いた。
「まるで、樹木が皆、人の実を結ぶようなありさまだ」
人々の視線はすべて、まもなく通りの向こうへ現れるはずの行列を待ち望んでいた。漱石たちは人波をかきわけて、ようやく通りの近くまでいった。最前列には制服制帽に身を包んだ兵隊がずらりと並んで警護に当たっている。
漱石先生は身長約159センチ。当時の日本人としては平均的な高さだが、幾重もの英国人の人垣に前を塞がれて、背伸びしてみても、とても向こう側を見るどころではない。その様子を察して、ブレットが漱石をひょいと肩車してくれた。漱石の視線は、たちまち通りの向こうまで素通しとなった。大柄な西洋人からしてみると、日本人の体格は大きな子供くらいの感覚だったのか。ひょっとすると周囲には、父親に肩車されたイギリス人少年の姿も、あったのかもしれない。
やがて通りの向こうから厳粛な行列がやってきた。粛々と進んでくるのは、繁栄を極めた大英帝国を象徴する人物、ヴィクトリア女王の葬儀の列だった。馬にまたがった新王のエドワード(故女王の息子)を先頭に、数人の騎馬が行き、さらに馬車が続く。さきほどまで漱石の頬に吹きつけていた木枯らしも、棺を積んだ馬車が通る時にはふっと静まったようだった。時は、19世紀から20世紀への転換期でもある。目の前を、ひとつの時代が過ぎ去っていくような感慨が、数え35歳の漱石の胸をとらえていた。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
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文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。
