『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。
■今日の漱石「心の言葉」
学問をする人、教育を受ける人が、何かに打ち当るまで行くということは、生涯の仕事としても、必要じゃないでしょうか(『私の個人主義』より)
【1893年1月29日の漱石】
今から123年前の今日、すなわち明治26年(1893)1月29日、数え27歳の漱石は積雪をおかして、外神田の青柳亭へと向かった。そこで、夕刻4時30分から帝国大学英文学談話会の例会が催されるのだった。
大学3年の漱石はこの日、会の席上、『英国詩人の天地山川に対する観念』というテーマで講演を行なった。18世紀末から19世紀初頭のイギリスの詩人を俎上(そじょう)にのせ、
《「クーパー」の自然主義は濁世(じょくせ)に身を処し難きが為に起り、「ゴールドスミス」の自然主義は賦性(ふせい)の恬淡(てんたん)なるに基づき、「バーンス」の自然主義は天稟(てんぴん)の至情に根し、「ウォーヅウォース」の自然主義は一隻の哲理的眼孔を具したるに因る》などと述べ、個々の詩作品と自然観を読み解いていくという優れた内容だった。
講演は皆の注目を集め、この後、3月から6月にかけて『哲学雑誌』に分載されることになる。
しかし、この日、漱石がもっとも講演を聞いてほしい相手はその場にいなかった。その相手は親友の正岡子規。子規はこの頃、日本新聞社で働きはじめていて、大学にはほとんど顔を見せていなかった。それでも、漱石の講演だけは聞きにきてくれるものと期待していたのだが、体調がすぐれず欠席したようだった。
漱石はその後、子規の体を心配して手紙を書いた。
《過日文学談話会へ出席仕候処(つかまつりそうろうところ)大兄御病気の趣にて御来駕無之(これなく)御風邪にても有之(これあり)候や 又は例の御持病にや 心元(こころもと)なく存候間(ぞんじそろあいだ)御容体一寸(ちょっと)相伺ひ申上候 随分御養生専一と奉存(ぞんじたてまつり)候》
じつは、漱石の談話会当日、子規は大雪の中を一度は会場に向かった。ところが、会費の10銭を持っていないことに気づき、途中で引き返した。昨秋、郷里の松山から母と妹を呼び寄せ3人で構えた新世帯、新年からの物入りもあって、子規の懐中はひどく逼迫(ひっぱく)していた。寒さの中で無駄足を踏んだ影響か、その後、子規は風邪気味となり体調を崩してしまった。漱石に余計な心配をかけたくないので、子規はそんな経緯は報知していない。
金銭的にはけっして裕福でなくとも、友への情愛だけはたっぷりと胸にあふれる漱石と子規だった。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。
