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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

攻める時は、韋駄天の如く、守るときは、不動の如くせよ(『愚見数則』より)

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵


【1916年1月18日の漱石】

今から100年前の今日、すなわち大正5年(1916)1月18日、数え50歳の漱石は東京・両国の国技館に相撲見物に出かけた。館内に入って桟敷席へ向かおうとしていると、遠くから「おい、夏目」と呼びかける声がする。見ると、大学時代の旧友で京都大学教授の藤代禎輔(ふじしろ・ていすけ)だった。禎輔は漱石と同じ船に乗ってドイツ留学した留学生仲間で、ドイツ文学の研究家として活躍する。

漱石と再会したこの時は休暇で京都から東京に戻っていて、国技館にきていたのだった。

周りが混み合っていて立ち話できる状況でもなく、漱石は軽く手を挙げ「失敬」とだけ挨拶し、自分の席へと向かった。まさかこれが、最後の対面となってしまうことなど、お互いに考えてもみなかった。

漱石は相撲好きだった。7年前にも高浜虚子と一緒に国技館へ出かけ、日記に《相撲の筋肉の光沢が力瘤の入れ具合で光線を受ける模様が変つてぴかぴかする。甚だ美くしきものなり》と記している。相撲を一種の芸術ととらえていた。

贔屓は太刀山。豪快な突っ張りで56連勝という記録を樹ち立てた22代横綱である。ひと突き半で相手を土俵の外に突き出してしまうため、「45日の鉄砲」という異名も持っていた。45日はひと月半、これを「ひと突き半」にかけたわけだ。69連勝の大横綱・双葉山より30年ほど前の時代の話である。

漱石は我が家の子供たちとも、よく相撲をとっていた。純一、伸六というふたりの小さな男の子が同時に漱石に組みつく。それでも叶わないとみるや、兄弟はすぐ上の姉ふたりにも応援を求め、4対1の大相撲を繰り広げたという。

漱石先生、若い頃は結構スポーツ好きで「器械体操の名人」ともいわれたくらいだから、足腰もそれなりに強かったのかもしれない。
 

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

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