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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

あなたの生涯は過去にあるんですか、未来にあるんですか。君はこれから花が咲く身ですよ(『野分』より)

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帝国大学在学中の正岡子規。子規は当初、哲学科へ進み、その後、国文科へと専攻を変えていった。写真/日本近代文学館蔵

【1892年1月14日の漱石】

今から124年前の今日、すなわち明治25年(1892)1月14日、漱石は夕食を終えて牛込喜久井町の自宅でくつろいでいた。そこへ、親友の俳人・正岡子規が訪ねてきた。

漱石と子規はともに数え26歳。帝国大学文科大学(現・東京大学)に学んでいた。専攻は漱石が英文学、子規は国文科だった。当時の帝大生は様々な学校で勉学を重ねているケースが多く、入学や卒業の年齢も今と較べるとだいぶ高かった。

子規はこの頃、小説の執筆にとりかかっている。暮れから駒込の下宿に閉じ籠もり「面会謝絶」の貼り紙をして、小説『月の都』を書き進めていた。互いの才能と人物を認め合い、2年前には文章をめぐる論争を闘わせたこともあるふたり。子規はこの日も、執筆中の自作について漱石に熱く語った。

子規の興味は、すでに大学の学業の上にはなく、文章による表現活動や俳句分類の方へと傾いていた。3年前の5月に激しい喀血をして以来、子規は己の余命長からぬことを、はっきりと意識していたのであった。

小説『月の都』はこのあと2月下旬に書き上がり、子規は幸田露伴に批評を乞うた。露伴は、漱石や子規と同年代ながら、すでに小説『風流仏』を発表し文壇に認められていた。『五重塔』の雑誌連載も、はじめているところだった。

子規の小説『月の都』に対する露伴の評価は、芳(かんば)しいものではなかった。子規は高浜虚子宛ての書簡に《僕ハ小説家トナルコトヲ欲セズ詩人トナルコトヲ欲ス》と決意を述べるに至る。自分の才は、小説よりも詩文(俳句や短歌)の方にあるようだ。ならば、残された時間を、そこに注いでいこう。そう思ったのだろう。子規の胸の底には、《目的物ヲ手ニ入レル為ニ費ヤスベキ最後ノ租税ハ生命ナリ》と綴るほどの覚悟。命を削ってでも、仕事に邁進するというのである。

その熱は、自ずと漱石にも伝播せずにはいなかっただろう。漱石先生がのちに、維新の志士のような覚悟を抱いて文学に専心するのも、子規という存在があったからこそなのだと思える。愛媛県松山市の子規記念博物館を訪れると、子規がかぶっていた帝大の学帽に今も対面できる。色調は黒の艶消し。革の鍔のついた布製。「大学」の徽章(きしょう)は黄銅色の輝きを見せる。じっと眺めていると、そこからも、子規や漱石の青年の意気が静かに伝わってくる。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 
文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

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