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夏目漱石、返したはずの本を未返却といわれ立腹する。【日めくり漱石/1月12日】

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

本を読むばかりで何にも出来ないのは、皿に盛った牡丹餅を画にかいた牡丹餅と間違えておとなしく眺めているのと同様だ(『虞美人草』より)

漱石夫妻が明治29年9月から1年間ほど住んだ熊本合羽町の借家。赴任当初、友人・菅虎雄の家に同居させてもらったこと除くと、漱石にとって熊本で2番目の住まいだった。神奈川近代文学館蔵

漱石夫妻が明治29年9月から1年間ほど住んだ熊本合羽町の借家。赴任当初、友人・菅虎雄の家に同居させてもらったこと除くと、漱石にとって熊本で2番目の住まいだった。写真/神奈川近代文学館蔵

 

【1897年1月12日の漱石】

今から119年前の今日、すなわち明治30年(1897)1月12日、数え31歳の漱石は熊本市合羽町の自宅にいた。松山から熊本へ転任して、はや9か月。漱石はいま、松山中学時代の山口善太郎という同僚の顔を思い浮かべ、少しばかり腹を立てながら手紙を書いていた。名宛人は、当の山口善太郎ではなく、松山中学校長の横地石太郎だった。

事の経緯はこうだった。漱石は松山にいた時、講義や勉強のため10冊ほどの書籍を学校から借り出していた。松山を去るに際し、書籍は、別の同僚に託し返してもらった。ところが数か月後、図書の管理を担当する山口善太郎が、漱石が本を返さないまま熊本に行ってしまったと言いはじめたのだ。

話を伝え聞いた漱石は、「すべて返しているはずだから確認し直してくれ」と善太郎に伝えた。ところが2か月ほど放置した末に、「書籍の題名も冊数もよくわからないが未返却のものがある」との曖昧な返答がきた。それを追いかけるように、横地校長からも同様の手紙が届いた。

漱石は校長に事の経緯を説明する手紙を書き、「山口の対応は不親切。きちんと確認するよう命じてほしい」と依頼したのだった。ただし、誰かに責任転嫁しようなどという思いは微塵もない。手紙の末尾はこう締めくくった。

《夫(それ)でも相分り不申(もうさず)候(そうら)はゞ小生甘んじて弁償の責に任ずべくと存候》
 
再度確認してもらって、なお本が見つからないようなら、自分が弁償するという申し出である。いかにも漱石先生らしい、真っ直ぐで潔い態度であった。

ちなみに、横地石太郎は漱石にとっては大学の先輩でもあった。漱石の松山赴任当時、教頭のような立場(学校長事務取扱)にあったため、のちに『坊っちやん』(明治39年)が世間の評判となると赤シャツのモデルに擬されたこともある。

だが、赤シャツは文学士という設定で、横地は理学士。漱石はモデル詮議で他者に迷惑がかかるのを憂慮し、講演『私の個人主義』の中で冗談めかしてこう述べている。

《「坊ちやん」の中に赤シヤツといふ渾名(あだな)を有つてゐる人があるが、あれは一体誰の事だと私は其時分よく訊かれたものです。誰の事だつて、当時其中学に文学士と云つたら私一人なのですから、もし「坊ちやん」の中の人物を一々実在のものと認めるならば、赤シヤツは即ちかういふ私の事にならなければならんので、--甚だ有難い仕合せと申上げたいやうな訳になります》

漱石の義理の孫で作家の半藤一利さんは、この横地石太郎旧蔵の本『鶉籠』(うずらかご)を、義父の松岡譲(漱石の娘・筆子の夫)から受け継ぐ形で持っていたという。『鶉籠』は『坊っちやん』『二百十日』『草枕』の3篇を収めた漱石の初期作品集である。

その本には横地による多くの書き込みがなされ、「夏目ハ広ク誰トデモ交際スルト云フ人デナカツタガ、親切デ友情ニ厚イ人デアツタ」「奇妙ナコトニハ小キ娘子ト質朴ナ婆サントガ大好キデアツタ」などと記されていたという。松山時代の漱石先生の印象を伝える言葉として、じつに興味深い。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 
文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

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