『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。
■今日の漱石「心の言葉」
自分で不愉快の眼鏡をかけて世の中を見て、見られる僕らまでを不愉快にする必要はないじゃないか(『野分』より)

漱石遺愛品の桐木地蒔絵火鉢。晩年の漱石は、火鉢の上に網を置き、朝食用のトーストを焼いて味わっていたという。写真/神奈川近代文学館蔵
【1909年1月9日の漱石】
今から107年前の今日、すなわち明治42年(1909)1月9日、数え43歳の漱石は寒い朝を迎えていた。風呂場の水道が凍りつき、栓が開かなくなっていた。昨夜、懐炉(かいろ)を抱くようにして寝たのがよかったのか、胃の痛みはだいぶ薄れていた。漱石先生、以前から胃に弱点を持っていた。
痛みは薄れたが、胃の調子はよくないので、漱石は朝飯は抜いて、紅茶茶碗を持って書斎に入った。鉛色の空から、やがて雪が舞い落ちてきた。漱石は思わず火鉢に手をかざす。
文豪とはいえ、いつもすらすらと筆が運べるわけではない。前年の12月に生まれたばかりの次男・伸六が大きな声で泣き続けていて、とても仕事に集中できそうもなかった。そのうち、知り合いが次々と訪ねてきて、金を貸してほしいと申し入れをしたり、あれこれと身の上話を吐き出したりしていく。そうしているうちに、刻々と時間が過ぎていった。
漱石は気持ちを切り換えるため、風呂へ行くことにした。手拭いをぶらさげて近所の風呂屋へ出かける。ひと風呂あびて清々した気分で帰宅して書斎に戻ると、ランプがついて火鉢にも新しい切炭が活けてあった。しばらくすると、妻の鏡子が蕎麦湯を持ってきてくれた。泣き疲れたのか、赤ん坊も、いつしか泣きやんでいる。
夏目家の女中のお梅が数日前から体調を崩し、医者に往診を頼んでいた。どうやら盲腸炎の疑いが濃厚らしい。
「悪いようだったら、病院に入れてやるがいい」
漱石は清々とした気分のまま、穏やかな口調で言った。鏡子も静かに相づちを打った。夫婦の間に、ほっとした温まりが通い合っていた。
本日の漱石山房、平穏なり。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。
