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夏目漱石、受話器ごしの門弟の失敬な態度に苛立ちを募らせる。【日めくり漱石/1月8日】

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」
ことを成さんとならば、時と場合と相手と、この三者を見抜かなければならない。その一つでも欠けば、成功は覚束ない(『愚見数則』より)

小宮豊隆の代表的著作『夏目漱石』(左)。小宮は初期の漱石全集の編集にも中心的存在として携わった。その解説を集めたのが『漱石の芸術』(右)。

小宮豊隆の代表的著作『夏目漱石』(左)。小宮は初期の漱石全集の編集にも中心的存在として携わった。その解説を集めたのが『漱石の芸術』(右)。

 

【1913年1月8日の漱石】

今から103年前の今日、すなわち大正2年(1913)1月8日、夏目家の電話が鳴った。漱石が受話器をとると、いきなり「奥さんを呼んでもらえませんか」という声がする。失敬な奴と思いつつ、漱石が「今、近くにいない」と応じると、電話の向こうの声は自分が小宮豊隆であることを名乗り、こう続けた。

「それじゃあ、奥さんに、今日伺えませんから、明日伺いますと伝えてください」

電話はそれきり、ガチャンと切れてしまった。切れた電話の受話器を、漱石はムッっとした顔で睨みつけただろう。

豊隆は、電話の相手が師である漱石だったことに気づいていない。漱石の妻・鏡子から、用事があるので来てほしいと伝言を受けていたため、夏目家に電話をかけ、一方的に要件だけ口にしたのだった。

ここ数日、神経が苛立っていた漱石は、失礼な電話で呼び起こされた怒りの感情が鎮まらない。まもなく鏡子が姿を見せると、こう厳命した。

「明日、小宮がきたら即座に追い返すように」

鏡子はちょっと心配になった。こんな調子のまま、もし明日、訪ねてきた豊隆がいきなり漱石と鉢合わせでもしたら、またひと騒動起こるかもしれない。それじゃあ、豊隆も可哀そうだし、漱石本人だって余計なエネルギーを使うことになる。鏡子は、たまたま顔を見せた門弟のひとり鈴木三重吉に頼んで、豊隆の下宿に足を運んでもらうことにした。三重吉は用向きを飲み込んで早速に出向くが、あいにく豊隆は留守。そこで、置き手紙をした。

《君ガ電話ヲカケタノデ先生ガ怒ツタ。明日、ワセダニ来ルナラ、先生ニ会ウヨリ先ニ、マヅ奥サンニ会ツテヨク聞ケ》

帰宅した豊隆はこの置き手紙を見て、はっとした。電話に出たのは、てっきり書生か何かだと思い込んでしゃべっていたのだが、あれは先生だったのか。しまったと思った。相手が先生なら、あの言い種はない。しかし、もう時すでに遅し。後年、師の伝記『夏目漱石』をまとめるのに心血を注いだ小宮豊隆の、若き日の失敗談のひとつである。

夏目家に電話が引かれたのは、この事件より少し前(前年の12月9日頃)。一般市民は、漱石や豊隆も含め、まだまだ電話に馴れていないところがある。便利な半面、こちらの都合に構わず、突然、日常の中に割り込んでくる電話のベル自体が、漱石の気持ちを波立てていたとも想像できる。

当時の連絡手段の主流は手紙で、こちらの方は自分が時間があるときに対処できるし、漱石先生は手紙をもらうのも書くのも大好き。なにせ、把握されているだけで、漱石の書いた手紙は、2500通余りも残されているのである。

 

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台にある神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 
文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

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