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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」
困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか(『坊っちやん』より)

鎌倉の円覚寺山門。漱石は同寺塔頭の帰源院で坐禅を組んだ。それより1年ほど前には、島崎藤村も同じ帰源院に参禅している。

鎌倉の円覚寺山門。漱石は同寺塔頭の帰源院で坐禅を組んだ。それより1年ほど前には、島崎藤村も同じ帰源院に参禅している。住所/神奈川県鎌倉市山ノ内409 写真/原田 寛

 
【1894年1月7日の漱石】

今から122年前の今日、すなわち明治28年(1894)1月7日、数え29歳の漱石は、鎌倉・円覚寺(えんがくじ)の山門を内から外へとくぐり抜けていった。前年の暮れから、この寺に参禅していたのだった。

この頃、漱石の胸の内には憂鬱な思いが巣くっていた。優秀な成績で帝国大学文科大学(のちの東京帝国大学、現・東京大学)を卒業し、英語教師として東京高等師範学校の教壇にも立ちはじめていたのだが、自分の中でどうもしっくりこない。その胸中をこう記している。

《卒業したときには、是でも学士かと思ふ様な馬鹿が出来上つた。それでも点数がよかつたので、人は存外信用してくれた。自分も世間へ対しては多少得意であつた。たゞ自分が自分に対すると甚だ気の毒であつた》(『処女作追懐談』)

これが正直な自己分析。漱石の中には迷いと焦燥があった。寺院で過ごす禅的修養がそれを吹き払ってくれるのではないか。そんな思いから出かけた鎌倉だった。

ところが、2週間の参禅生活を経ても、気持ちがすっきり晴れ渡ることはなかった。小説『門』の中に書かれた次の一節は、物語中の主人公の呟きである以前に、漱石の当時の思いと重なるものであっただろう。

《自分は門を開けて貰ひに来た。けれども門番は扉の向側にゐて、敲(たた)いても遂に顔さへ出して呉れなかつた。たゞ、「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云ふ声が聞えた丈であつた》

円覚寺の山門を出て3か月後、漱石は中学教師として、ひとり愛媛の松山へ赴任する。

生まれ育った東京の地を、思い切って離れてみよう。それが自分の心の内の門を開くきっかけになるかもしれない。

そんな意識が、若く迷える漱石先生の中にあったのだと思う。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 
文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

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