『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともに毎日お届けします。


■今日の漱石「心の言葉」
自分で自分の鼻の高さが分らないと同じように、自己のなにものかは中々見当がつきにくい(『吾輩は猫である』より)

小学7級修了証書 戸田学校下等小学第7級修了証書(明治8年月)。名前が「塩原金之助」となっている。当時の小学校は下等小学校4年・上等小学校4年の四・四制を基本とした。神奈川近代文学館蔵

戸田学校下等小学第7級修了証書(明治8年月)。名前が「塩原金之助」となっている。当時の小学校は下等小学校4年・上等小学校4年の四・四制を基本とした。写真/神奈川近代文学館蔵

 

 

【1875年1月6日の漱石】

今から141年前の今日、すなわち明治8年(1875)1月6日、東京・浅草で大きな火事があった。夜9時頃に出火した火はすぐには鎮火せず、周辺の住宅132戸を焼き払って、およそ1時間半後に消し止められた。

この頃、数え9歳となっていた漱石は、同じ界隈に住み、浅草の小学校(戸田学校下等小学校)に通っていた。これには、事情がある。漱石は生後まもなく里子に出されたあと、夜店で小さな笊(ざる)に入れられている姿を見かけた姉が不憫に思ったことから、いったん夏目家へ連れ戻された。

しかし、それも束の間、今度は内藤新宿(現・新宿3丁目)の塩原昌之助夫妻の家に養子に出される。その後、養家が浅草の方に転居したため、漱石もそこに暮らしていたのだ。なかなか鎮火しない火の手と、そこから起こる喧騒は、漱石の住まう家へも波及せずにはいなかっただろう。きっと、幼い漱石も、その目で夜空を焦がす炎を眺めたのではないだろうか。

浅草大火のあった翌年、養父母が離婚し、漱石は再び生家へ戻ったが、籍は塩原家に置いたままだった。漱石はしばらくの間、実の父母を祖父母だと思って暮らしていたという。夏目家に正式に復籍するのは、数え22歳の折だった。
祖父母と思っているのは本当は実の父母なのだと教えてくれたのは、年老いたお手伝いさんで、この人の親切が金之助(漱石の本名)にはとても嬉しかった。談話『僕の昔』の中でも、漱石はこのお手伝いさんらしき人にふれ、

《『坊ちやん』にお清といふ深切な老婢が出る、僕の家にも事実にあんな老婢がゐて僕を非常に可愛がつて呉れた、『坊ちやん』の中にお清から貰つた財布を便所へ落すとお清がわざわざそれを拾つてもつてきてくれる条(くだり)があつた、僕は下女に金を貰つた覚はないが、財布の一条は実地の話だつた》

と語っている。

里子に出されて戻ったと思ったら、再び養子に出され、また実家へ戻される。そんな不安定な生活環境は、子供心に寂しさを投げかけずにはいなかっただろう。とはいえ、小学校時代の漱石は腕白な悪戯小僧でもあった。当時の遊び仲間だった篠本二郎が『腕白時代の夏目君』に記すところによれば、年上の餓鬼大将に喧嘩を挑んだり、乱暴者に塀の上から小便をひっかけたりしていたという。

子供ながらに、強きを挫(くじ)こうという『坊っちやん』にも通じる気概。なかなかやるじゃないか、漱石先生。

 

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台にある神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』『漱石「こころ」の言葉』『文士の逸品』『石橋を叩いて豹変せよ』など。

ランキング

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

サライ最新号
2021年
11月号

サライ最新号

大人の逸品Online Store

通販別冊
通販別冊

心に響き長く愛せるモノだけを厳選した通販メディア

おすすめのサイト
dime
be-pal
スーツウーマン
mensbeauty
petomorrow
リアルキッチン&インテリア
大人の逸品
おすすめのサイト
dime
be-pal
スーツウーマン
mensbeauty
petomorrow
リアルキッチン&インテリア
大人の逸品