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織田信長の妻・帰蝶(濃姫)と斎藤道三~謎に満ちた父娘【にっぽん歴史夜話24】

文/砂原浩太朗(小説家)

清洲公園にある濃姫の銅像

歴史好きなら、濃姫(のうひめ。のひめ、とも)ないし帰蝶(きちょう)の名を知っている人は多い。織田信長の妻であり、美濃(岐阜県)の梟雄(きょうゆう)・斎藤道三(どうさん)の娘である。戦国時代を描いたドラマや小説にはたびたび登場するから、一般的な知名度はむしろ高いほうだろう。

が、歴史上、その生涯についてはほぼ不明というしかない。後述するが、「濃姫」は通称であり、「帰蝶」の名も信憑性に疑問がのこる。生没年も分かっておらず、信長とのあいだに子をなした形跡もない。はっきり言えるのは、父が道三であること、天文18(1549)年、16歳の信長に嫁いだことくらいである(前年説も)。

そして、彼女の父・斎藤道三もやはり不明な部分の多い人物であり、近年、従来のイメージが大きく覆りつつある。本稿では、虚と実を注意ぶかく見さだめながら、謎多き父娘の実像をさぐってみたい。

梟雄・斎藤道三の生涯

斎藤道三といえば、下剋上を代表する武将と目されている。通説によれば、1494年ないし1504年の生まれ。朝廷につかえる武士の血筋だったが、父が浪人したため、京都・妙覚寺で僧となった。やがて還俗し油屋に婿入りするが、僧侶時代の人脈で美濃に販路をもとめたことから人生がひらける。見目よく聡明でもあったため、同国の守護・土岐(とき)家の家臣である長井長弘に見いだされ、武士として取り立てられたのだ。

ここから、道三の国盗り物語がはじまる。守護の弟・土岐頼芸(よりあき、よりのりなど、読み方には諸説あり)へ取り入り、その兄を追放して彼を守護とした。この功により勢力をますと、恩人ともいうべき長弘を抹殺し、稲葉山城(のちの岐阜城)を居城にする。名も目まぐるしく変え、西村、長井姓を経て、天文7(1538)年には美濃の名族を継ぎ、斎藤利政と称した(名は秀龍という説もあるが、これには確証がない)。ついには主君・頼芸を放逐して美濃一国を手に入れる(1542年)。これに脅威をおぼえた越前(福井県)の朝倉氏、尾張(愛知県)の織田氏と兵をまじえ、1549年、和睦のしるしとして娘・濃姫を信長へ嫁がせたのである。前後して出家、道三と号して嫡子・義龍(じつは追放した主君・土岐頼芸の落胤であるという説も根強い)に家督をゆずったものの、父子の仲は不和となってしまう。1556年、とうとう息子といくさにおよび、長良川のほとりで敗死したのだった。

道三伝説の変転

これが長らく伝えられてきた斎藤道三の履歴だが、この通説は近年、おおきく揺らいでいる。僧から身を起こしたのは道三の父で、長井新左衛門尉(しんざえもんのじょう)なる人物だという。

この根拠は、近江(滋賀県)の大名・六角承禎(じょうてい。1521~98)の書状。美濃斎藤家の来歴について記したくだりがあり、そこに上述の内容がふくまれているのだ。道三の死から4年後に書かれたものであるから、同時代資料といってよい。くわえて長井新左衛門尉の存在は他の文献からも確認されているから、信頼度の高い説であることは間違いない。今世紀に入ってからは、これにもとづいた小説やドラマ、漫画なども生まれている。

筆者もこの説におおきく傾きはするが、1通の書状を拠りどころとすることに危うさも覚える。なにより、徒手空拳から身を起こした道三の物語は、捨てがたい魅力に満ちている。今しばらく、両説のあいだをたゆたっていたい気がするのである。

なお、新説にもとづいても、主君を放逐するなど梟雄としての所業は息子・道三のものとなる。父が築いたポジションを足がかりに、子の国盗りがスタートするわけだ。これはこれで、たしかに別種の新鮮さがあるだろう。

【次ページに続きます】

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