新着記事

幕末から明治維新へ、激動の日本に暮らした「ドクトル・ヘボン」が聞いて綴った日本語

幕末から明治維新へ、激動の日本に暮らした「ドクトル・ヘボン」が聞いて綴った日本語【世界が変わる異文化理解レッスン 基礎編18】

男性管理職のメンタル不調は深刻化か? メンタル不調の悩みの約4分の1は40代男性から!

男性40代のメンタル不調が急増!? 悩みの原因は「職場の問題」と「自分自身のこと」

【ビジネスの極意】新リーダーのための「リーダーシップ」理論

【ビジネスの極意】新リーダーのための「リーダーシップ」理論

油麻地

懐かしく怪しき香り漂うディープな街 「油麻地」裏通りを行く(香港)

『定年後に泣かないために、今から家計と暮らしを見直すコツってありますか?』

老後資金、結局いくら必要?|『定年後に泣かないために、今から家計と暮らしを見直すコツってありますか?』

令和初のボーナスの使い途|使う金額、用途、支払い方法は?

令和初のボーナスの使い途|将来のために貯金をする人が約7割!

『サラ・ヴォーン・シングス・ジョージ・ガーシュウィン』

テンポもムードも自由自在。悲しくて、そして楽しいガーシュウィンの大人気曲【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道15】

小宮悦子×中野信子スペシャルトークイベント ~いい記憶をつくる考え方~[PR]

オフィスの温度が仕事効率や人間関係を変える!?|夏場のオフィスの温度事情

エアコン温度が仕事効率や人間関係を変える!?|夏場のオフィスは7割以上の男性は“暑い”、女性の過半数は“寒い”

【ビジネスの極意】「失敗が決定しているのに、撤退できない」コンコルド効果の罠

【ビジネスの極意】「失敗が決定しているのに、撤退できない」コンコルド効果の罠

LINE公式アカウントでも記事を配信中

友だち追加

お気軽に友達追加してください

サライ本誌最新号(クリックで試し読み)

サライ7月号付録「筋トレチューブ」トレーニング動画公開中!

通販別冊『大人の逸品』最新号はこちら

ピックアップ記事

  1. ファストバックはリアのデザインが特徴的。セダンは伸びやかなデザインでありながら「塊感」があり、走る姿も美しいと想像させるものに仕上がっている。

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

趣味・教養

キリシタン大名の数奇な人生|三英傑に仕え「全国転勤」した武将とゆかりの城【高山右近編】

写真・文/藪内成基

戦国時代から全国統一へと向かった織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。いわゆる「三英傑」に仕える武将たちは、忠義を守りながら、時に家のために立場を変えながら生き残りを図りました。その中には、出世や左遷によって、全国を飛び回ることになった者も少なくありません。激動の「異動」を経た武将の人生を、ゆかりの城とともにご紹介します。

今回は、織田信長のもとでキリシタン大名として力をつけるものの、豊臣秀吉の反キリシタン政策により領地を失い、旧友を頼り各地を転々。晩年には徳川幕府の禁教令により、フィリピンのマニラに流される運命をたどった高山右近(たかやまうこん)を取り上げます。

■大和の地で父とともにキリスト教の洗礼を受ける

天文21年(1552)頃、高山友照の長男として高山右近が誕生します。高山友照は摂津国三島郡高山庄(現在の大阪府豊能町)で、豪族として力をもっていました。しかし、戦国大名として名を馳せる松永久秀に従うこととなり、親子ともども沢城(現在の奈良県宇陀市)へと移ります。これが、高山右近の人生に大きな影響を与えるターニングポイントとなるのです。

高山右近が12歳の時、沢城にキリスト教修道士・ロレンソが招かれます。父・高山友照のすすめもあり、「正義の人」を意味する「ジュスト(ユスト)」という洗礼名を受け、キリスト教を信仰するようになりました。ここに、後にキリシタン大名として名を刻む、高山右近の歩みが始まったのです。

ちなみに、沢城はポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスが記した『日本史』にも登場するなど、カトリック宣教師がたびたび訪ねています。

高山親子が居住していたとされる地に立つ「高山右近生誕地の碑」(大阪府豊能町)

高山親子が居住していたとされる地に立つ「高山右近生誕地の碑」(大阪府豊能町)

 

標高約525mの山頂に築かれた沢城。多感な時期の高山右近が過ごした

標高約525mの山頂に築かれた沢城。多感な時期の高山右近が過ごした

 

沢城には土塁や堀割りなど中世城郭としての遺構が残る

沢城には土塁や堀割りなど中世城郭としての遺構が残る

■高槻城を基盤に織田信長の家臣として成長する

高山右近が17歳になった頃には、高山親子は高槻(現在の大阪府高槻市)へと移ります。そして天正元年(1573)、21歳の頃に父の後を継いで、高槻4万石の城主となります。その後、織田信長の家来となり、領内に20余りの教会を建て、キリスト教の布教に力を尽くしました。当時の人口2万5千人のうち、7割強がキリスト教信者であったともいわれています。

本能寺の変で織田信長が亡くなった後、天正10年(1582)の山崎合戦では、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)方の先鋒として活躍しました。賤ヶ岳の戦い後には功績により、明石で6万石を与えられ、船上(ふなげじょう)城を築城。さらに教会を建て、キリスト教の布教に努めます。

高山右近は茶人としても才能を発揮し、千利休の弟子の中で特に優れた茶人「利休七哲」の一人に数えられています。高山右近のほかに名を連ねるのは、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)など。また、黒田官兵衛や蒲生氏郷といった有力武将をキリスト教入信に導いたとされます。文武に秀で、多彩な人脈を構築していた高山右近の人物像が浮かび上がってきます。

町屋を城内に取り込む堅固な城郭として高槻城は築かれた

町屋を城内に取り込む堅固な城郭として高槻城は築かれた

 

明石城から望む早朝の明石海峡。付近には高山右近が築いた船上城跡が残る

明石城から望む早朝の明石海峡。付近には高山右近が築いた船上城跡が残る

■豊臣秀吉のバテレン追放令により領地を失い旧友・小西行長を頼る

豊臣秀吉に従い功績をあげるものの、状況が一変する出来事が起こります。天正15年(1587)、豊臣秀吉は「伴天連(バテレン)追放令」を出し、キリスト教の弾圧へと方針を変えるのです。豊臣秀吉にキリスト教の信仰をやめるよう強く迫られるものの、高山右近は改宗を拒否。そのため、高山右近は大名の地位も領地も失ってしまいます。

同じくキリシタン大名であった小西行長を頼り、小豆島でかくまわれます。その後も、肥後(現在の熊本県)に移るなど、苦しい時代を過ごします。

高山右近が領地を失った当時、小豆島は小西行長が治めていた

高山右近が領地を失った当時、小豆島は小西行長が治めていた

■加賀前田家の客将として約25年間を過ごす

転々とする生活の後、かねてから親交のある前田利家によって、客将として金沢へ招かれます。天生18年(1590)の小田原攻めには、前田利家の家来として参戦しています。

前田利家が亡くなった後には、長男である加賀藩初代藩主・前田利長に仕えます。慶長14年(1609)、新たに築城することになった高岡城の縄張り(設計)を高山右近が担当したとされており、現在も高岡古城公園には高山右近の像が立っています。

前田利長は、 中国最古の詩集とされる『詩経』の一節から「高岡」と名付けました。しかしわずか5年後に前田利長は死去。元和元年(1615)の一国一城令により高岡城は廃城となり、未完の建物は破却されてしまいました。

高岡古城公園の本丸広場に立つ「前田利長公」像

高岡古城公園の本丸広場に立つ「前田利長公」像

高岡城の建物は現存しないが、高山右近が担当したとされる縄張りは残っている

高岡城の建物は現存しないが、高山右近が担当したとされる縄張りは残っている

■徳川幕府の禁教令により国外追放されマニラへ

高岡城の築城が進められている頃、またしても高山右近に苦難が訪れます。慶長18年(1613)、徳川幕府によるキリスト教の禁教令が出され、高山右近は国外追放となります。長年過ごした金沢に別れを告げ長崎へ、さらに長崎からフィリピンのマニラへと旅立ちました。慶長20年(1615)、マニラに到着は果たすものの、間もなく病によって最期を迎えました。

高山右近を通じて、大阪府高槻市とマニラ市は昭和54年(1979)に姉妹都市となり、マニラ市内のディラオ広場には高山右近像が建てられています。迫害を受けながらも生涯信仰を貫き通した高山右近。2017年には、ローマ教皇庁から殉教者として福者の列に加えられました。

高槻城の高山右近像。高岡古城公園やディラオ広場(マニラ市)にもある

高槻城の高山右近像。高岡古城公園やディラオ広場(マニラ市)にもある

キリスト教の信仰を守り通すため、領地や大名の地位を失った高山右近。小西行長や前田利家など旧友に助けられながら、各地で実績を残し続けました。そして、約28年間を経てもキリスト教への信仰は変わらず、海のはるか向こうで客死したのです。

※歴史的事実は、各自治体が発信している情報(公式ホームページ等)を参照しています。

写真・文/藪内成基
奈良県出身。国内・海外で年間100以上の城を訪ね、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。主に「城びと」(東北新社)へ記事を寄稿。異業種とコラボし、城を楽しむ体験プログラムを実施している。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

関連記事

  1. 「悲恋のヒロイン」ではなかった額田王~謎の女流歌人を追う【にっぽん歴史夜話17】 「悲恋のヒロイン」ではなかった額田王~謎の女流歌人を追う【にっぽ…
  2. 応永12年(1405)、尾張国守護職であった斯波義重が建てたのが清須城の始まり 出世か左遷か? 三英傑に仕え「全国転勤」した武将とゆかりの城 【…
  3. 「令和」の宴をともにした二人の万葉歌人~大伴旅人と山上憶良にっぽん歴史夜話16】 「令和」の宴をともにした二人の万葉歌人~大伴旅人と山上憶良【にっ…
  4. 姫路城 「日本の城」ランキング|名古屋城、松江城、犬山城が躍進!
  5. 高知城内 山内一豊の妻 銅像 「山内一豊の妻」伝説を検証する【にっぽん歴史夜話15】
PAGE TOP