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北政所の選択が歴史を決めた

北政所は織田家中の士・杉原定利の次女として生まれた。父について詳しいことは分かっていないが、叔母の嫁ぎ先で、北政所の養父となった浅野長勝が同家の弓衆であるから、釣り合いのとれる身分ではあったろう。

結婚のきっかけは、夫となる藤吉郎(秀吉)が、この浅野家に親しく出入りしていたことだったらしい。一説によると、北政所の実母が大反対したのを押しきって嫁いだというから、今でいう恋愛結婚だったのかもしれない。

以後40年近くを添いとげたが、子には恵まれなかった。そのかわりというべきか、秀吉の甥・秀次や秀勝、徳川家康の次男・秀康や宇喜多秀家といった養子たちの世話を一手に引き受けていたようだ。女中たちに不始末があった折、秀吉にとりなして許してもらったというエピソードもあるから、母性のつよい、やさしい人柄であったと想像される。

夫の死後は出家して高台院と称し、早々に大坂城を出て京へ隠棲した。亡夫を祀る豊国(とよくに)社へ毎月のように詣でていたというから、心しずかに菩提を弔いたかったのだろう。が、北政所が政治の表舞台から退いたため、福島正則・加藤清正ら子飼いの武将たちが躊躇なく徳川家康につくことができたとも言える。側室・淀殿への嫉妬から家康に味方し、豊臣家滅亡への道を作ったなどというストーリーは単なる憶測であり、なんの証拠もない。とはいえ、承久の乱における北条政子のごとく、秀吉の恩をかかげて武将たちを叱咤するという選択もありえただろう。政治的な立場から身を退くという北政所の決断が歴史を動かしたのは皮肉なことである。

むろん、亡夫と築きあげた豊臣家に思いがなかったわけはない。大坂夏の陣(1615)で淀殿と秀頼が自刃した10日ほどのち、彼女は伊達政宗あての書状にこう記しているのだ。「大坂のことは、なんとも申し上げる言葉がないほどでございます」。一代の英雄・秀吉の妻として、豊臣家の興亡を見守った者の感慨がそこに詰まっている。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』(講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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