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前列中央から時計回りに、ご飯、野蕗のきゃらぶき、煎り豆腐(人参)、鶏そぼろ、漬物(胡瓜と人参の糠漬け・壬生菜・刻み沢庵)、焼き海苔、ごんげん蒸し、大根おろし(葱・鰹節・胡麻)、納豆(葱)、絹さやの浸し(鰹節)、味噌汁(豆腐・若布・葱)、中央右は焼き鮭、左は蒲鉾と山葵漬け。今朝は小鉢に盛っているが、常備菜のきゃらぶきや煎り豆腐、鶏そぼろ、加えてごんげん蒸しなどは大皿で登場し、取り分けていただくことが多い。絹さやは昨夜の残りを浸しに。蒲鉾は、山葵漬け(静岡『野桜本店』の激辛口)をつけて食す。焼き海苔は東京・品川の『みの屋海苔店』のものを愛食。焼き海苔とごんげん蒸しの器の模様は、定紋である揚羽蝶。

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戦国の光と影~前田利家のライバル・佐々成政の悲話【にっぽん歴史夜話6】

 文/砂原浩太朗(小説家)

武田信玄と上杉謙信、宮本武蔵と佐々木小次郎など、歴史上には無数のライバル関係が存在する。加賀百万石の祖・前田利家(1537?~1599)と佐々成政(さっさ・なりまさ ?~1588)もそのひとつ。とくにこの二人の場合、ともに織田信長の家臣としてスタートし、途中までよく似た経歴をたどっているだけに、後半生の明暗がくっきりと際立つのである。利家と対比しながら、佐々成政、悲運の生涯を追ってみたい。

そっくりな出世コース

佐々家はもと尾張の土豪で、父の代から織田家へ仕えるようになった。成政の生年には諸説あるが、有力なのは天文5(1536)年説と同8年説である。いっぽう、利家には天文6(1537)年説と7年説があるから、いずれにせよ同世代といえよう。二人とも信長の小姓として召しだされているが、出仕は成政のほうが2年はやい。あるいは先輩として利家に接していたかもしれない。

弘治2(1556)年、信長が弟・信行とあらそった稲生(いのう)の戦いで、利家と成政はともに敵将を討ち取り名を挙げた。齢も近い若武者同士、はげしい対抗心を燃やしただろうことは容易に想像がつく。主君・信長も意図して競わせようとしたのか、二人はひとつがいのように出世してゆく。

例えば永禄11(1568)年、利家は母衣衆(ほろしゅう)に任じられた。これは戦時に信長のそば近くひかえ、各隊へ君命を伝える伝令将校である。母衣とは布のなかに竹や鯨骨を入れてふくらませた目印で、これを背に負って駆けるさまは、まさにいくさ場の華であった。これに二隊あり、利家が赤い布の赤母衣衆筆頭、成政は黒母衣衆筆頭だった。

また、有名な長篠の戦い(1575)では、いくさの要である鉄炮隊の指揮をそろって任せられ武田の騎馬隊を殲滅、織田・徳川連合軍を勝利に導いている。そして同年、越前(福井県)の一向一揆を掃討した信長は府中10万石を三等分し、利家と成政、不破光治に与えた。北ノ庄の柴田勝家を助け、越前を統治する役目である。二人がここまで、ほぼ同じ出世コースを歩んできたことが、お分かりいただけるだろう。

成政は武士らしく、剛直な人物だったらしい。信長が浅井長政と朝倉義景を滅ぼし、その髑髏に金泥を塗って盃としたとき、家中で成政だけが主君の振る舞いを不善として諫めた。信長はかえって引き出物を与えたそうだから、成政の人柄を愛でていたのだろう。また、ひとかどの士を召し抱えるときは約束した以上の禄を与えるのがつねで、そのため腕に覚えの者はこぞって成政のもとへ参じたという。どちらのエピソードからも、豪気あふれる武人の姿が立ちのぼってくる。が、その後半生を見ると、時流をつかむ能力には欠けていたように思えてならない。

伝説のさらさら越え

信長の死後、利家と成政の運命は大きくへだたってゆく。

【次ページに続きます】

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