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キリシタン大名・高山右近と加賀前田家との意外な深イイ関係とは【にっぽん歴史夜話5】

 文/砂原浩太朗(小説家)

キリシタン大名として著名な高山右近(たかやま・うこん、1552~1615)。日本史に興味がなくても、その名に聞き覚えのある人は多いだろう。豊臣・徳川とつづいた禁教政策にあらがって国外へ追放され、ついに異郷で没したことを知る人もかなりの数にのぼると思われる。

が、右近がその後半生、26年という長い歳月を加賀前田家のもとで過ごした事実はまだ広く知られてはいない。本稿では、前田家とのつながりにテーマをしぼり、語られること稀であった加賀での高山右近に光を当ててみたい。

大阪府高槻市の高槻城跡にある高山右近像。

信仰を貫き6万石を捨てる

右近は摂津の地頭(じとう)・高山飛騨守友照の子として生まれた。右近は通称で、諱(いみな=正式な名)は友祥(ともなが)、または長房という。通称である「右近」のほうが有名なのは、宣教師たちの残した史料に、洗礼名とあわせて「ジュスト右近殿」の名で登場することが影響したのだろう。

父・飛騨守は梟雄・松永久秀の配下であり、熱心な法華信者であった主君の意を受けキリスト教の放逐に乗りだそうとした。ところが折伏(しゃくぶく)するつもりで信者と激論をかわすうち、かえってその教えに傾倒してしまう。ついにはみずから洗礼を受け、ダリヨという名を与えられた。少年だった右近もこのとき入信、「義の人」を意味するジュストと呼ばれることになるが、父ゆずりの激しさが彼の人生を規定したと言っていい。

その後、織田信長、豊臣秀吉に重用され明石6万石の大名となった右近だが、天正15(1587)年の伴天連(バテレン=宣教師)追放令でおおきく運命が変わってしまう。宣教師たちが日本侵略の先兵となることを秀吉が怖れたためともいわれるが、このとき小西行長や黒田官兵衛など、数人のキリシタン大名が棄教を迫られることとなった。

ここでただ一人、命令をこばんだのが右近である。あくまで信仰をえらび、領地と大名の地位を捨てて、一介の浪人となったのだった。

流浪の右近を救った前田利家

城と領地をうしなった右近へ救いの手を差しのべたのが、豊臣家の重鎮・前田利家である。食客として家族ともども金沢へ招いたのだ。天正16(1588)年のことであった。

これ以前、利家と右近がとくべつ親しかった形跡はない。なぜこのような厚遇を与えたか明らかではないが、信仰を貫こうとする右近のいさぎよい態度に、若いころ傾奇者だった利家の侠気(おとこぎ)が感応したのではないかと筆者は推測している。さらに想像をたくましくすれば、追放せざるを得なかったものの、もともと右近に好意的であった秀吉と示し合わせてのこととも考えられる。

利家のもとに身を寄せた右近は小田原の北条氏攻めで活躍、武将としての矜持をたもった。さらに文禄の役(1592~93)では、利家にしたがい肥前名護屋(佐賀県)へおもむいている。利家は嫡子・利長へのこした遺言のなかでも、「南坊(みなみのぼう=右近の号)は律義な人物であるから、心をくばってやるように」と記した。よほど信をおいていたにちがいない。

キリスト教に殉じた右近、幸福だった金沢時代

幸いなことに跡を継いだ利長は、亡父にまして右近を信頼していたらしい。もともと築城の才があった右近は慶長4(1599)年に金沢城の修築、同14(1609)年には高岡城(富山県)の築造を命じられている。また、徳川方についた利長は、関ヶ原に先立ち西軍の大聖寺城(石川県)を攻めたが、このとき右近は適切な進言をおこない、前田勢を勝利に導いた。ともすれば信仰の面ばかりがクローズアップされる高山右近だが、武将としても第一級の人物だったと言えるだろう。

が、豊臣にかわり天下の権をにぎった徳川家が禁教令を発布、慶長19(1614)年、右近は幕府より金沢からの退去を命じられた。前田家の人々は棄教をすすめたが、応じるはずもない。護送役を命じられた重臣・篠原出羽は右近へ武人としての礼をつくし、貴人の駕籠に乗せようとして、かえって辞退されたという。

やがて長崎を経てマニラへ国外追放された右近は、翌年、同地で病没する。ローマ法王庁から「聖人」に次ぐ「福者」として認定されたのは、それから400年を経た2016年のことである。

信仰のつよさゆえに苦難の道をあゆんだ高山右近。が、前田家から重んじられ、金沢で過ごした26年という歳月は幸せを感じられるものだったのではないか。加賀百万石との縁にどこか救われるものを覚えるのは、筆者だけではないだろう。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』(講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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