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前田利家の妻・芳春院まつの知られざる素顔【にっぽん歴史夜話3】

文/砂原浩太朗(小説家)

加賀百万石の礎をきずいた武将・前田利家(1537?~1599)。その妻まつ(夫の没後、剃髪して芳春院〈ほうしゅんいん〉と称する)は、戦国の女性中でもよく知られた存在である。だが、世上流布しているイメージは、大半がドラマなどによるものといっていい。本稿では、あくまで史料にもとづき、まつの歴史的素顔をさぐってみたい。

尾山神社 (石川県金沢市)に残る、まつ(芳春院) の石碑

40歳近くまでの事績は、ほぼ不明

まつの伝記としてまとまったものには、大正時代に刊行された「芳春夫人小伝」(近藤磐雄・著)がある。没後300年に際し、前田侯爵家の依頼で書かれたものだ。一読しておどろくのは、生い立ちおよび利家との結婚が記されたあと、いきなり末森の戦い(1584年。後述)まで叙述がとんでいることである。このいくさの折、まつは38歳。その間の記録が残っていなかったのだろう。残念ではあるが、これは戦国女性として、けっして特別なことではない。

まつは天文16(1547)年、織田家の弓頭・篠原主計(かずえ)の娘として生まれた。父が早世したため、母はおなじ家中の高畠直吉に再嫁。この母が利家の生母と姉妹だったため、まつは4歳のとき前田家に引き取られ、12歳で利家と結婚する。ふたりはいとこ同士だったのである。ほぼ10歳ちがいの夫婦だった。

余談ながら、拙作『いのちがけ 加賀百万石の礎』(講談社刊)にも登場する前田家の重臣・篠原出羽と高畠石見は、名字からわかるように、まつの縁につながる者である。作中でことさらその点を強調はしなかったが、利家がいかに妻を重んじていたかがわかる。

利家に金銀を突きつけた?

先述した「末森の戦い」は、前田家の戦史上、きわめて重要な合戦である。羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康があらそった小牧・長久手の戦いに連動し、家康方の佐々成政が前田領の要衝・末森城を急襲したのだ。

最終的には利家が勝ちをおさめるが、兵力としては成政側が優勢だった。「川角太閤記」によると、この時まつは、蓄財に熱心だった夫に金銀の袋を突きつけたという。「日ごろ、財より兵を養いなさいと申し上げておりましたのに、このようなことになりました。いっそ金銀に槍でも持たせたらいかがですか」となじったのだ。

説話の域を出ないものではあるが、なかなかに面白い。ちなみに「芳春夫人小伝」では、このエピソードはカットされている。「明良洪範」を典拠に、将士を激励したという無難な記述が採られているのだ。良妻賢母的なイメージが崩れることをおそれたのだろう。

まつ、前田家を救う

秀吉と利家があいついで没した後、天下への野心をあらわにした徳川家康は、前田家に牙を剥いた。当主となった利長(利家とまつの長男)に謀叛の嫌疑をかけ、兵を差し向けようとしたのである。弁明につとめた利長へ提示された条件は、母・芳春院(まつ)を人質として差し出せば疑いを解くであろう、というものだった。まつは秀吉の正室・北政所ねねとも親しく、豊臣政権下の大名夫人としてはただ一人、醍醐の花見にも同行をゆるされている。その令名に人質としての価値があると判断されたのだろう。

まつがこの提案を了承し、江戸へ下ったため、前田家は徳川三百年を生きのびることができた。「桑華字苑」によると、利長へ「母のことを思って家をつぶしてはならない。万一の時は、遠慮なくわたしを捨てなさい」と言い残したという。

利家とまつは、40年以上を夫婦として生き、男女あわせて11人もの子にめぐまれた。ひとりの正室が生んだ子どもの数としては、比類ない多さである。この夫婦のむつまじさを知る、ひとつの手がかりではあるだろう。

夫の残した加賀百万石を守り抜いたまつは、晩年、江戸からの帰国をゆるされ、金沢で71歳の天寿をまっとうした。豊臣家滅亡の2年後、元和3(1617)年7月のことである。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』(講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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