新着記事

脳を活性化させて若返らせる画期的な方法|『脳が若返る15の習慣』

人の名前が出てこなくなったら、始めたほうがいい!? 脳を活性化させて若返らせる習慣

1位:銀の鈴サンドパンケーキモンブラン [コロンバン/グランスタ] 1個 297円

年末年始の帰省に喜ばれる!「東京駅冬のお土産人気ランキング2019」ベスト10

Google マップの超基本的な使い方【スマホ基本のき 第8回】

「アメリカ英語」の生みの親は誰? 米語辞典から学ぶ新しい英語(4)【世界が変わる異文化理解レッスン 基礎編33】

「アメリカ英語」の生みの親は誰? 米語辞典から学ぶ新しい英語(4)【世界が変わる異文化理解レッスン 基礎編33】

「老後の生活や年金」「台風・豪雨・洪水」「あおり運転」|令和元年、日本人の不安1位は?

【ビジネスの極意】なぜ社員が失敗を素直に報告できない会社は成果がでないのか?

【ビジネスの極意】なぜ社員が失敗を素直に報告できない会社は成果がでないのか?

アゴをリラックスさせて魅力的な声に

顎をリラックスさせて魅力的な声に!|よく響く落ち着いた声で話す方法

MAZDA CX-30は愛されるためにデザインされたとも言える。

“イキモノ”としてクルマを捉えると見えてくる〜マツダのデザイン哲学を巡る風景〜[PR]

仕事ができる男=気遣いができる男!? “できる男”に共通する特徴とは?

肩こり、腰痛にテープ剤と飲み薬。どちらが効果的なのか?|薬を使わない薬剤師 宇多川久美子のお薬講座【第7回】

肩こり、腰痛にテープ剤と飲み薬。どちらが効果的なのか?|薬を使わない薬剤師 宇多川久美子のお薬講座【第7回】

通販別冊『大人の逸品』最新号はこちら

LINE公式アカウントでも記事を配信中

友だち追加

お気軽に友達追加してください

サライ本誌最新号(クリックで試し読み)

ピックアップ記事

  1. MAZDA CX-30は愛されるためにデザインされたとも言える。
  2. 鴨鍋
  3. 宝塚歌劇

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

サライ7月号付録「筋トレチューブ」トレーニング動画公開中!

趣味・教養

そして歴史が動いた!前田利家、賤ヶ岳撤退の謎【にっぽん歴史夜話1】

文/砂原浩太朗(小説家)

織田信長の死後、羽柴秀吉と柴田勝家が後継者の座をめぐって激突した「賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)」。七本槍の活躍で名高い合戦だが、ここで勝ちをおさめた秀吉が、やがては豊臣姓を名のり、天下人へと躍進してゆく。戦国史研究の泰斗・高柳光寿が、「秀吉の海内統一の事業に一大時期を劃した戦」(『賤ケ岳之戦』)というように、この一戦の意義はきわめて大きい。

しかし、勝敗の鍵をにぎったのが前田利家(1537?~1599)であることは、ほとんど知られていない。当時、利家は柴田方として出陣していたが、いくさのたけなわで突如退却、秀吉勝利のきっかけをつくった。が、この経緯には不審な点がおおい。

利家が柴田方となったのは、旧主・信長によって勝家の与力(補佐役)に任じられたからである。勝家のことは「親父様」と呼んで慕っていたという。いっぽう、秀吉ともかねてから親しく、娘を養女にやっているほどである。いわば、両者の板挟みとなる立場だった。

余呉湖(滋賀県長浜市)をはさんで羽柴・柴田両軍が睨み合ったのは天正11(1583)年3月なかば。勝家軍は2万、秀吉軍は正確な史料がないが、5万ほどではないかと推測される。

余呉湖の北方に陣をかまえた柴田方は持久戦にもちこむ肚で、本格的な戦闘もないまま対陣はひと月におよんだ。

4月16日、秀吉は勝家と手をくむ岐阜の織田信孝(信長の三男)討伐のため、本隊をのこして大垣(岐阜県大垣市)へ向かう。その隙をつき、余呉湖南岸の羽柴方を攻撃したのが勝家の甥である猛将・佐久間玄蕃盛政だった。みっつある砦のうち、ふたつまで手中にした盛政だが、大垣から52キロの道を5時間という神速で馳せもどった秀吉の大軍と、のこるひとつ賤ヶ岳の砦を舞台に決戦となる。

このとき、後方をかためていた利家がにわかに撤退したのである。戦場は大混乱におちいり、他の与力衆もぞくぞくと逃走、盛政もやぶれて柴田方は総崩れとなった。盛政が賤ヶ岳の一戦をしのぎ、ふたたび持久戦にもちこめば、いくさはどう転んだか予断をゆるさない。まぎれもなく、利家の行動こそが戦局をさだめたものであり、先述の高柳も「勝敗を決定した一番大きな原因は前田利家」(前掲書)と記している。

とうぜん、かねてから秀吉に通じていたと想像されるが、不審なのは前田隊の死者が異様に多いことである。「四戦略譜」という古記録によると、身分ある家臣だけでも30人前後が討ち死にしている。おまけに、それだけの死者が出ていながら、くわしい状況は不分明きわまりない。

利家の家臣がのこした覚書きでは、「味方はい軍(敗軍)の時、死ぐるひに切てまはり」「ちから不及(およばず)」とし、羽柴方と激戦のすえ降ったような表現になっているが、これは信じがたい。利家は前年に勝家の使者として秀吉を訪ねており、そのさい密約が成立したとみるのが妥当である。戦後も本領安堵のみならず、加賀二郡まで加増。それからも出世をつづけ、徳川家康につぐ豊臣政権の重鎮となっている。が、前田勢の被害からして、相手方も少なからぬ痛手をこうむったはずである。はげしく抵抗した武将に対する処遇とは、とうてい思われない。

では、なぜこれほどの死者が出たのか。真相の解明はあらたな史料でも出現しないかぎり望むべくもないが、筆者はこの戦いを小説としてえがくにあたり、前田勢の退却を猛将・佐久間盛政がいちはやく察知、一隊をさいて追撃させたという仮説をたてた。ここで兵力を分散させてしまったのも敗因のひとつとなるわけである。興味をもたれた方は、拙著『いのちがけ 加賀百万石の礎』(講談社刊)をご一読いただければ幸いにおもう。

勝家をたおした秀吉が天下を統一するのはわずか7年後、利家は終生、よき片腕として豊臣家をささえつづけた。嫡子・利長が関ヶ原で徳川につき、加賀百万石と称される広大な領国を得たのはその没後である。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』(講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

関連記事

  1. 足利尊氏像 「観応の擾乱」(かんのうのじょうらん)とは何か~足利尊氏・直義兄…
  2. 仙石秀久の時代に築かれた小諸城大手門(国重要文化財) 大失態を犯し追放されたが、再び秀吉の信頼を得て乱世を生き抜いた男…
  3. 楠木正成像 楠木正成~「忠臣」か「悪党」か【にっぽん歴史夜話21】
  4. 肱(ひじ)川を天然の水堀として築かれた大洲城。四重四階の天守は、平成16年(2004)に再建された 「賤ヶ岳七本槍」から豊臣水軍の中心人物へ|三英傑に仕え「全国転勤…
  5. 「応仁の乱」と日野富子【にっぽん歴史夜話20】 「応仁の乱」と日野富子【にっぽん歴史夜話20】
PAGE TOP