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文/砂原浩太朗(小説家)

織田信長の死後、羽柴秀吉と柴田勝家が後継者の座をめぐって激突した「賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)」。七本槍の活躍で名高い合戦だが、ここで勝ちをおさめた秀吉が、やがては豊臣姓を名のり、天下人へと躍進してゆく。戦国史研究の泰斗・高柳光寿が、「秀吉の海内統一の事業に一大時期を劃した戦」(『賤ケ岳之戦』)というように、この一戦の意義はきわめて大きい。

しかし、勝敗の鍵をにぎったのが前田利家(1537?~1599)であることは、ほとんど知られていない。当時、利家は柴田方として出陣していたが、いくさのたけなわで突如退却、秀吉勝利のきっかけをつくった。が、この経緯には不審な点がおおい。

利家が柴田方となったのは、旧主・信長によって勝家の与力(補佐役)に任じられたからである。勝家のことは「親父様」と呼んで慕っていたという。いっぽう、秀吉ともかねてから親しく、娘を養女にやっているほどである。いわば、両者の板挟みとなる立場だった。

余呉湖(滋賀県長浜市)をはさんで羽柴・柴田両軍が睨み合ったのは天正11(1583)年3月なかば。勝家軍は2万、秀吉軍は正確な史料がないが、5万ほどではないかと推測される。

余呉湖の北方に陣をかまえた柴田方は持久戦にもちこむ肚で、本格的な戦闘もないまま対陣はひと月におよんだ。

4月16日、秀吉は勝家と手をくむ岐阜の織田信孝(信長の三男)討伐のため、本隊をのこして大垣(岐阜県大垣市)へ向かう。その隙をつき、余呉湖南岸の羽柴方を攻撃したのが勝家の甥である猛将・佐久間玄蕃盛政だった。みっつある砦のうち、ふたつまで手中にした盛政だが、大垣から52キロの道を5時間という神速で馳せもどった秀吉の大軍と、のこるひとつ賤ヶ岳の砦を舞台に決戦となる。

このとき、後方をかためていた利家がにわかに撤退したのである。戦場は大混乱におちいり、他の与力衆もぞくぞくと逃走、盛政もやぶれて柴田方は総崩れとなった。盛政が賤ヶ岳の一戦をしのぎ、ふたたび持久戦にもちこめば、いくさはどう転んだか予断をゆるさない。まぎれもなく、利家の行動こそが戦局をさだめたものであり、先述の高柳も「勝敗を決定した一番大きな原因は前田利家」(前掲書)と記している。

とうぜん、かねてから秀吉に通じていたと想像されるが、不審なのは前田隊の死者が異様に多いことである。「四戦略譜」という古記録によると、身分ある家臣だけでも30人前後が討ち死にしている。おまけに、それだけの死者が出ていながら、くわしい状況は不分明きわまりない。

利家の家臣がのこした覚書きでは、「味方はい軍(敗軍)の時、死ぐるひに切てまはり」「ちから不及(およばず)」とし、羽柴方と激戦のすえ降ったような表現になっているが、これは信じがたい。利家は前年に勝家の使者として秀吉を訪ねており、そのさい密約が成立したとみるのが妥当である。戦後も本領安堵のみならず、加賀二郡まで加増。それからも出世をつづけ、徳川家康につぐ豊臣政権の重鎮となっている。が、前田勢の被害からして、相手方も少なからぬ痛手をこうむったはずである。はげしく抵抗した武将に対する処遇とは、とうてい思われない。

では、なぜこれほどの死者が出たのか。真相の解明はあらたな史料でも出現しないかぎり望むべくもないが、筆者はこの戦いを小説としてえがくにあたり、前田勢の退却を猛将・佐久間盛政がいちはやく察知、一隊をさいて追撃させたという仮説をたてた。ここで兵力を分散させてしまったのも敗因のひとつとなるわけである。興味をもたれた方は、拙著『いのちがけ 加賀百万石の礎』(講談社刊)をご一読いただければ幸いにおもう。

勝家をたおした秀吉が天下を統一するのはわずか7年後、利家は終生、よき片腕として豊臣家をささえつづけた。嫡子・利長が関ヶ原で徳川につき、加賀百万石と称される広大な領国を得たのはその没後である。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』(講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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