夏目漱石、怪しげな訪問者からの面会依頼をきっぱり断る。【日めくり漱石/12月27日】

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今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)12月27日、42歳の漱石は妙な抗議を受けていた。

数日前、漱石は怪しげな訪問を受けた。訪問者の名は木村秀雄。印度タンツラ僧伽イマジネーシヨン研究会長という、なんだかよくわからない肩書を有していた。

取次ぎを受けた漱石は、面会を断った。

実はこの男の訪問を受けるのは初めてではなかった。4か月前にも漱石山房(東京・早稲田南町の漱石の自宅)を訪れ、漱石と面談し、「観自在宗を普及させるためにお力添え願いたい」などと寄進話を持ちかけていた。新聞や雑誌を通しての布教や金集めも念頭にあるらしかった。ひと通りの話を聞いた後、賛同する気になれなかったので、漱石は断りを言って引き取ってもらった。

今度の訪問も、趣旨は同じだった。玄関先で名刺を差し出し来意を告げた木村は、

「ご主人の胃病も私が治して差し上げる故、ぜひご面会を」

という申し出までした。

漱石はそんな言い種に毫(ごう)もなびかない。玄関に顔を出すまでもなく、取次ぎを通して面会を謝絶した。

すると、男は態度を豹変させ、ひどく怒り出し、後ろ足で砂をかけんばかりにして帰っていった。かてて加えて、今日になって、漱石を責めたてるような手紙を送ってきたのである。

漱石は手紙を読み終えると、この不埒な訪問者へ返事を書くことにした。

《今度御足労の処(ところ)不得面接(めんせつをえず)為に御立腹の由承知致
候。

観自在宗御弘(おひろ)めの為機関御入用の由なれど夫(それ)は観自在宗の信徒の有したる新聞か雑誌でなければ駄目に候。然らずば金を儲けて自身に機関を設くるより外に致し方なかるべきか。胃病を癒してやるとの仰せ難有(ありがたく)候。然し御心配御無用に候。小生の胃は過去の因縁にて起りつつあるものに候。過去の因縁消滅すれば大兄の力を藉(か)らずとも自然に全快可致(いたすべく)候。小生は妄(みだ)りに人の力によりて何うかして貰う事がきらい故御厚意を顧みずわざと辞退致候。

右御返事迄。草々》

文面はあくまで丁寧に、大人の余裕を見せながらも、「無駄足になるから、もう来ないように」と、はっきりと説き聞かせた恰好である。

ところで、ここにいう、胃病を起こすような「過去の因縁」とは何だったか。

かつての養父・塩原昌之助が昔の縁故を申し立て、漱石に交際の復活と金銭的援助を要求する事態が、数年前から続いていた。「過去の因縁」とは、ひとつは、そのことによる精神的なストレスを指したのだろう。

そのごたごたは、ようやく、一応の決着がつこうとしていた。もちろん漱石の胃の持病は、もともとの体質や過敏な神経、若いころから「たら腹主義」で通し、とくに甘いものに目がないことなど、他にもさまざまな要因がからまり合っている。

精神的ストレスも、何も養父のことばかりに限らない。己の来し方があって今を生きているという現実を踏まえれば、すべての足跡が「過去の因縁」といえなくもない。

だとしたら、それは誰に肩代わりしてもらえるものでもなく、生きている限り自分で背負っていくしかない。そんな漱石の覚悟も、手紙文の奥に垣間見える。

■今日の漱石「心の言葉」
最後の引導を渡すより外に途(みち)がなくなった(『明暗』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
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神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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