今から116 年前の今日、すなわち明治33年(1900)12月26日、33歳の漱石は英国ロンドンにいた。
もうあと数日で19世紀が終わり、新しい世紀がやってこようとしている。夜の帳がおりた下宿の部屋にひきこもると、自然と、机の上に置かれた封筒に目がいく。それは、昨日、日本から届いた手紙だった。
差出人は妻の鏡子。11月17日に投函されたものが、はるばる海を超え、偶然、12月25日に到着した。筆不精でなかなか手紙をくれない妻からの便りが、クリスマスの日に届いたことが、漱石の気持ちを和ませていた。
この頃、日本にも「クリスマス」というものの存在は伝わっている。だが、もともとヨーロッパで受け継がれてきている風習の実際までは、ほとんど知られていない。漱石はヨーロッパのクリスマスのありようを、下宿の主人や主婦らから聞き、その一端を身をもって体験した。
ペンをとった漱石は鏡子宛ての返書をしたためながら、そのことにもふれていく。
《昨日は当地の「クリスマス」にて日本の元日の如く頗る大事の日に候 青き柊(ひいらぎ)にて室内を装飾し家族のものは皆其(その)本家に聚(あつま)り晩餐を喫する例に御座候 昨日は下宿にて「アヒル」の御馳走に相成候》
ヨーロッパでは自宅にクリスマスツリーを飾り、家族が集まって神に感謝しつつ晩餐を囲み、和やかな中にも厳かなひとときを過ごすのである。七面鳥でなくアヒルを供されたのは、下宿の主婦の好みか、もしくは台所事情によるものか。
漱石は、親友の正岡子規宛てにも一筆啓上することにした。旅好きの子規のために、ロンドンの賑やかな都会ぶりを伝える絵葉書を選び出し、その余白にびっちりと文字を書き込んでいく。
《其後(そのご)御病気如何 小生東京の深川の如き辺鄙に引き籠り勉学致居候
買度(かいたき)ものは書籍なれどほしきものは大概三四十円以上にて手がつけ兼候(略)御地は年の暮やら新年やらにて嘸(さぞ)かし賑かな事と存候 当地は昨日は「クリスマス」にて始めて英国の「クリスマス」に出喰わし申候》
漱石はさらに、異国で初めてのクリスマスと正月を迎える自身の思いを詠み込んだ俳句も書き添えた。
《柊を幸多かれと飾りけり》
《屠蘇なくて酔はざる春や覚束な》
この葉書は、年明け2月14日に子規のもとに到着する。もはや立って歩くことも叶わぬ病床の子規は、葉書の写真と文字を食い入るように見つめ、嬉し涙を流さんばかりに喜ぶのだった。
■今日の漱石「心の言葉」
私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか(『心』より)

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
Web版「夏目漱石デジタル文学館」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。
