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夏目漱石、初めて食べたあるものに「頗るうまい」と感嘆する。【日めくり漱石/12月19日】

3 夏目漱石 2

今から112 年前の今日、すなわち明治37年(1904)12月19日、37歳の漱石は東京・下谷区谷中清水町(現・台東区池之端)の橋口貢・清兄弟の居宅に招かれていた。漱石は絵心のあるこの兄弟と、よく自筆絵葉書をやりとりしていた。いまでいうところの「絵手紙」の先駆といっていい。

橋口兄弟は鹿児島の出身。

兄の貢は熊本五高で漱石の教えを受け、その後、東京帝国大学の政治学科を経て外交官となっていた。こののちは中国に赴任し、硯や陶器、調度類など、現地からさまざまな掘り出し物を漱石のもとに送る役割も担っていく。

一方、弟の清は、当時は東京美術学校の西洋画科に在籍する画学生。五葉という号を持ち、漱石の紹介ですでに雑誌『ホトトギス』の挿絵を描きはじめていた。この少しあとには、『吾輩は猫である』をはじめとする漱石作品の単行本の装幀なども手がけていくことになる。さらに後年には、江戸の浮世絵を継承する新しい木版画の世界へ進み、「大正の歌麿」の異名をとった。

橋口五葉の装幀になる『吾輩は猫である』。明治38年5月の刊行。出版元は大倉書店・服部書店の連名だった。神奈川近代文学館所蔵

橋口五葉の装幀になる『吾輩は猫である』。明治38年5月の刊行。出版元は大倉書店・服部書店の連名だった。神奈川近代文学館所蔵

この日、橋口家の食卓で漱石に供されたのは、雁の羹(あつもの=熱い吸物)だった。漱石が雁を食べるのは、これが生まれて初めてだった。ひと口食べるや否や、

「頗るうまい」

漱石は胸の中でそう嘆じていた。

甘いもの好きの漱石のために、この日は空也の菓子も用意されていた。「空也」はいまは東京・銀座で営業を続ける老舗菓子舗として知られるが、この頃は橋口家に近い上野に店を構えていた。この空也の菓子を口にするのも、漱石は初めてだった。

この招待から3日後、漱石は池の周りに集う雁の絵を描いた自筆絵葉書を作成し、礼状として貢宛に送っている。書きつけた文字は、

《雁の御馳走は大変うまかった 此度はここに書いてある様な奴を一疋しめて食いたい 空也堂の菓子は頗る洒落たものですな》

雁の羹と空也の菓子。漱石先生、どちらの味覚にも、よほど満足したらしい。舌鼓の音まで聞こえてきそうな礼状である。

のちに『吾輩は猫である』の続篇で、登場人物の珍野苦沙弥に空也餅を頬張らせたのも、橋口家で食べたその味が心に強く残ったためだったろう。

■今日の漱石「心の言葉」
何も云わずに空也餅を頬張って口をもごもご云わしている(『吾輩は猫である』より)

夏目漱石肖指定画像(神奈川近代文学館)720_141-02a

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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