今から110 年前の今日、すなわち明治39年(1906)12月16日は日曜日で、学校教師でもある39歳の漱石は、ここぞとばかり、自宅書斎にこもって机に向かっていた。6日前に起稿した小説を書き進めていくのである。
まだ題名も決まっていない小説の執筆を夕刻まで続け、原稿の総枚数は80枚に達した。それでも、全体の構想からすると半分にも満ちていない。執筆に集中しようと思っても、訪問客があったりして、なかなか思い通りには捗(はかど)らないのである。
この小説は、雑誌『ホトトギス』の1月号に掲載される予定になっていた。編集責任者たる高浜虚子からは、そろそろ催促がてら様子を聞き合わせてきている。遠回しに尻を叩こうと、「同じ号に掲載する自分の小説はもう書き上がった」などと、手紙を書いて寄越している。
7~8年前までは、仲間うちの同人誌のような感覚が抜け切らずしばしば発刊日を遅らせ、漱石から叱責と励ましを受けた虚子も、いまはもう編集者としてどっしりとした仕事をしている。漱石の背中を押すようにして、『吾輩は猫である』『坊っちやん』といった名作を世に出した実績も大きい。
80枚まで書き一段落ついたところで、漱石は虚子宛てにユーモアたっぷりの連絡の葉書を書いた。
《小生只今向鉢巻(むこうはちまき)大頭痛にて大傑作製造中に候。二十日迄に出来上る積りなれど(略)どうなる事やら当人にも分りかね候。出来ねば末一二回分は二十日以降と御あきらめ下さい。(略)今度の小説は本郷座式で超ハムレット的の傑作になる筈の所御催促にて段々下落致候残念千万に候》
4日後の20日を目標に書き進めているが、若干のこぼれが出るかもしれない。シェークスピアの『ハムレット』を超えるような大傑作を目指して鉢巻きをして奮闘してきているが、虚子からの督促を受け急いで筆を運ぶ内にちょっと怪しくなってきたようだ、というのである。
虚子からは、あとを追うように、題名について問い合わせがきた。漱石がこれに応え、『野分』でどうかという返信を投函したのは、夜の11時過ぎだった。
漱石はこのあとも、20日中の脱稿を目指して励んだ。が、門弟たちがやってきたりして執筆の邪魔をする。虚子は20日の夜、人力車で原稿を受け取りにきたが、やはり若干のこぼれが出た。
『野分』の脱稿は結局、12月21日になった。
■今日の漱石「心の言葉」
もう大丈夫ですね。邪魔ものは追っ払ったから(『坊っちゃん』より)

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
Web版「夏目漱石デジタル文学館」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
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文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。
