留学中の夏目漱石、ネタを探してロンドンの町を歩き回る。【日めくり漱石/12月15日】

3 夏目漱石 2

今から115 年前の今日、すなわち明治34年(1901)12月15日は日曜日だった。

ロンドン留学中の34歳の漱石は、忙しい勉強の合間を縫って、ハイド・パークへと出かけていった。日本への通信の種を拾うためであった。

少し前、東京・根岸で病床に伏す親友の正岡子規から、漱石のもとへ手紙が届いていた。はるか海を越えて、ひと月半余りかけて渡ってきた手紙であった。

《僕ハモーダメニナツテシマツタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヤウナ次第ダ》

そんなふうに書き出された手紙の中には、こんな一節もしたためられていた。

《僕ガ昔カラ西洋ヲ見タガッテ居タノハ君モ知ッテルダロー。ソレガ病人ニナッテシマッタノダカラ残念デタマラナイノダガ、君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往タヨウナ気ニナッテ愉快デタマラヌ。若(も)シ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ)》

漱石は子規のために、ぜがひでも手紙をかかねばならなかった。いまさら、へたな慰めの言葉などいらない。できるだけ明るい調子で、ロンドンの日常の話題を伝えたい。漱石はそう思っていた。

日曜日のハイド・パークでは、いろいろな者が大道演説をしていた。

キリスト教徒が「アーメン」と唱えているすぐ傍らで、無神論者が「地獄? 地獄とは何だ。もし神を信じない者が地獄に落ちるなら、ヴォルテールも地獄にいるだろう」などと演説している。

セント・ジェームス・ホールで、日本の柔道家と西洋のレスラーとの試合があると聞きつけ、出かけていったのも、この日だった。

一番安い席(日本円で50銭ほど)は売り切れてしまっていたので、漱石は1円25銭ほどを奮発して入場した。だが、試合をしている者の顔など、とてもわからないくらい遠く離れている。日本の相撲でいう「砂かぶり」のような特等席へは、5円とか6円の大枚をはたかなければ座れないのだった。

肝心の柔道家とレスラーの試合は、予定が後れて時間がとれなくなり、とうとう中止となってしまった。その代わりに漱石が観戦したのは、スイスのチャンピオンとイギリスのチャンピオンによるレスリングの試合だった。

馴染みがないから、どうしても漱石にはぴんとこない。この3日後(12月18日)に漱石が書いた子規宛て書簡には、こんなふうに綴られる。

《西洋の相撲なんて頗(すこぶ)る間の抜けたものだよ。膝をついても横になっても逆立をしても両肩がピタリと土俵の上へついて然も一二と行司が勘定する間此ピタリの体度を保って居なければ負でないって云うんだから大に埒のあかない訳さ。蛙のやうにヘタバッテ居る奴を後ろから抱いて倒さうとする、倒されまいとする。坐り相撲の子分見たような真似をして居る》

だが、夜中の12時近くまでかかったその試合の記事が、翌日の朝刊には紹介されていて、漱石はその迅速さには大いに驚いた。

《こつちの新聞なんて物はエライ物だね》

これが、漱石から生前の子規に届いた、最後の手紙だった。

■今日の漱石「心の言葉」
かの地の模様をかいて遥々と二三回長い消息をした(『吾輩は猫である』中篇自序より)

夏目漱石肖指定画像(神奈川近代文学館)720_141-02a

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

夏目漱石ありし日々の面白エピソードを毎日連載!「日めくり漱石」記事一覧へ

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で