3 夏目漱石 2

今から124 年前の今日、すなわち明治25年(1892)12月14日、25歳の漱石は、高校時代からの友人である正岡子規から思わぬ内容の手紙を受け取り、夜になって返書をしたたむべく机に向っていた。

子規からの手紙には、講師として東京専門学校(現・早稲田大学)の教壇に立つ漱石の評判があまり芳しくなく、生徒たちの間では排斥運動を起こうそうとしている者もいるらしい、といったことが書かれていた。漱石は東京帝国大学の英文科に在籍する学生の身分ながら、一方で、この5月から東京専門学校の講師をつとめていたのである。

漱石の講義を受ける生徒の中には、子規の従弟である藤野古白もいた。おそらくはその辺りが、情報の出所だったのかもしれない。

漱石にとって子規の手紙は意外だった。

いわれてみれば、学校で使っているランプの蓋に、生徒の誰かによって「文集はサッパリ分らず」と悪戯(いたずら)書きされているのを見たことはあった。けれども、その程度のことはよくあることで、そんなものをいちいち気にしていたら教師などは1日もつとまらないと、漱石は打ち捨てていた。

もちろん、経験は浅く、自身の教え方がうまいとは思っていない。生徒によっては、なかなか授業についてこれない者もいるかもしれない。

だが、けっして漱石が手を抜いているわけではない。学校の決められた制度の中で、進めるべき講義を進めている。もともと2時間だった受け持ち時間を、生徒たちの希望によって3時間に増やした経緯さえある。排斥運動など、思いもよらなかった。

漱石は返書に綴った。

《生徒が生徒なれば辞職勧告を受てもあながち小生の名誉に関するとは思わねど、学校の委托を受けながら生徒を満足せしめ能(あた)わずと有ては、責任の上また良心の上より云うも心よからずと存候間、この際断然と出講を断わる決心に御座候》

子規のいうところが事実なら、すぐにも、文学部の責任者たる坪内逍遥に辞表を提出する気持ちにもなっていた。

漱石はこの3日後、子規のもとを訪ね、直接話を聞き、事情を確かめた。

その後、学校側にも聞き合わせてみたが、生徒たちからとりたてて問題提起はなく、漱石も辞表を提出することはなかった。どうやら子規は、小耳にはさんだ噂話に過剰に反応し、取り越し苦労をしたものと思われた。

それもこれも、相手のことを我が身のように慮るからこその行き違い。漱石と子規、まことの親友だった。

■今日の漱石「心の言葉」
生徒の風儀は、教師の感化で正していかなくてはならん(『坊っちゃん』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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