夏目漱石、『ホトトギス』発行人の高浜虚子に苦言を呈する。【日めくり漱石/12月11日】

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今から117 年前の今日、すなわち明治32年(1899)12月11日、熊本にいる32歳の漱石は、東京・神田で俳句雑誌『ホトトギス』を編集・発行する高浜虚子に宛てて手紙を書いていた。地元の九州日々新聞の池松迂巷という俳人に頼まれて、虚子ら東京で活躍する俳人の句を寄稿してくれるよう勧めるためだった。

しかし、本題は、「乍序(ついでながら)」といって書き添えた後半の文面にあった。その始まりは、《乍序ほととぎすにつき一寸(ちょっと)愚見申述(もうしのべ)候間(そろあいだ)御参考被下度(くだされたく)候》と物柔らかいが、中身はちょっと手厳しいものがあった。

まずは、発行日が杜撰(ずさん)なことを指摘。

《同人間の雑誌ならばいかに期日が後(おく)れても差支(さしつかえ)なけれど既に俳句雑誌抔(など)と天下を相手に呼号する以上は主幹たる人は一日も発行期日を誤らざる事肝要かと存候 それも一日や二日なら兎角(とにかく)十日二十日後れるに至っては殆(ほとん)ど公等が気に向いた時は発行しいやな時はよす慰み半分の雑誌としか受取れぬ次第に候》

慰み半分につくっている仲間うちの回覧雑誌などと違って公の雑誌なのだから、きちんと発行日を守るべきだというのである。
次に漱石は、時として記事内容が安易に流れる傾向を突く。

《「ほととぎす」中にはまま楽屋落の様な事を書かれる事あり 是も同人間の私の雑誌なら兎に角苟(いやしく)も天下を相手にする以上は二三東京の俳友以外には分らず随って興味なき事は削られては如何 加之(しかのみならず)品格が下る様な感じ致候》

楽屋落ちのような話が多いと雑誌の品位が下がるというのである。

他に有力な競合雑誌もなく、『ホトトギス』の売れ行きは好調だった。しかし、だからこそ、もっと高い意識をもって発行していかなければいけない。

《仮令(たとい)有力なる競争者が出来得ざるにせよ敵なき故に怠る様に見えるは猶更見苦しく候》
《吾人の生涯中尤も謹慎すべきは全盛の時代に存す》

順調なときにこそ、おごることなく、気持ちを引き締めて進むべきだと、漱石は言うのである。

この頃まださほどに親しい交流のない虚子に対して厳しい意見をいうのは逡巡するところもあったが、もともとの雑誌の主宰者である病床の正岡子規を大切に思う気持ちと相俟(あいま)って、漱石先生の筆にはついつい熱が入るのである。

■今日の漱石「心の言葉」
約束だから行かなければならん(『虞美人草』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
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神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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