3 夏目漱石 2

今から105 年前の今日、すなわち明治44年(1911)12月4日の朝、44歳の漱石は東京・神田錦町の佐藤診療所へ赴いた。痔の具合がよくないので、治療をほどこしてもらうためであった。

主治医の佐藤恒祐に治療をしてもらいながら、漱石は、5日前の末娘の突然死について語った。死因がよくわからないという話をすると、佐藤は、それは胸腺の方に原因があったのかもしれないという意見を述べた。胸腺が肥大している胸腺体質だと、ちょっとしたことから突然死を迎えるケースがあるというのだった。

夕食時、内々の者が寄って、雛子の位牌の前で食事をした。二の膳には、刺身、口取り、焼き肴、酢の物、煮もの、白和え、お椀、鳥のうま煮などが並んでいた。漱石はこれを、弔問に訪れた学生時代からの友人の中村是公とともに食した。

雛子の骨は、この翌朝、夏目の家の菩提寺である本法寺に納める手筈になっていた。漱石本人はこの寺を好んでいたわけでなはいが、急なことで、兄の直矩の意見に従ったのだった。百箇日の間、本法寺に預かってもらい、その間どこか別の場所に墓地を定め埋葬するつもりであった。

鏡子は、埋葬許可書だけを手元に置いておくと失くしてしまいそうな気がして、雛子のお骨の箱に一緒に入れて寺に預けておいた。

ところが、このことがのちに揉め事に発展していく。

漱石夫妻は雑司ヶ谷に墓地を買い求め、そこに雛子の骨を埋めようとすると、本法寺の方が認めようとしない。本法寺は境内の墓地へ墓を建てさせて金にしたいという魂胆から、なんのかんのといってお骨を引き渡さないのだった。

雛子のお通夜のときも、本法寺からきた通夜僧は品位のないものの言い方をしていた。

「お寺では何でもちょうだい致します。死んだ仏のものは、皆どこでもお宅では気味悪がられたりしますので何でもいただきますし、また宅によっては供養のためとあって遺品(かたみ)をご寄進なさいます方もございます。どうか、そんなものがございましたらご遠慮なく」

そこにあるものは、何でももらって帰ろうというほどの素振りだった。ついには、こんな台詞まで飛び出した。

「たとえばお棺におかけになってる白いきれ、あんなものでもいただきます」

ここまでくると、さすがに漱石も嫌気がさし、

「いや、あれは葬儀屋から借りたものです」

と、ぶっきらぼうに断りをしたのだった。

今またその本法寺に埋葬許可書ぐるみお骨を「人質」にとられた形で、漱石も鏡子も困りはてた。ついには弁護士に頼んで告訴状を書いてもらい、ようやく雛子のお骨を取り戻すありさまだった。

雑司ヶ谷の墓地に埋葬したあと、漱石は雛子のために、自身で小さい墓標を書いた。

■今日の漱石「心の言葉」
慾に押し出される邪気が常に働いていた(『道草』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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