筆が進まぬ夏目漱石、妻・鏡子と一緒に義太夫を聴きに出かける。【日めくり漱石/12月3日】

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今から104 年前の今日、すなわち大正元年(1912)12月3日、45歳の漱石は妻の鏡子を連れて東京・新富町の新富座に出かけた。竹本越路太夫の義太夫を聴くためであった。

劇場内に入り、ふと2階席に目をやると、三井財閥の重鎮である実業家の有賀長文の顔が見えた。漱石がなにげなくそのことを告げると、鏡子夫人は確かめようとしてしきりに上を眺める。

「そんなふうに見るもんじゃない」

漱石は自分が教えたくせに、みっともないと夫人を叱りつける。

鏡子の方も叱られながら、胸の内で「なんですか、ご自分が教えたくせに」などと呟いていたに違いない。

漱石は、つい数日前、朝日新聞に連載する小説『行人』の原稿を書きはじめたところであった。書きはじめたものの、なかなか思うように筆は進んでいかない。

この3日後の12月6日からは新聞掲載がはじまる。はじまれば、まったなしに日々の連載が続いていくのに、まだ最初の数回分の原稿しか準備できていない。

用意周到な漱石にしては、珍しいことであった。

大正元年12月から新聞連載を開始した『行人』は、病気のための一時中断を経て翌年11月に完結。単行本は大正3年1月に大倉書店から刊行された。神奈川近代文学館所蔵

大正元年12月から新聞連載を開始した『行人』は、病気のための一時中断を経て翌年11月に完結。単行本は大正3年1月に大倉書店から刊行された。神奈川近代文学館所蔵

そんな状況の中で義太夫などを聴きにいくのは、なんだか親の目を盗んで恋人に会いにいく青年のような心持ちであった。ちょっとうしろめたく、それだけに一層、秘密めかした楽しみを感じてしまう。

人間心理とは、まことに不可思議なものだった。

その不可思議なものに操られるように、漱石は次の日も新富座に出かけていった。

自身が趣味として取り組んでいる謡にも通ずる部分があって、義太夫に惹き付けられていたところもある。だが、それ以上に、机にかじりついていても思うように仕事が進まないので、なんとか気分転換を図ろうという思いが働いていただろう。

2日目の新富座では観客の中に坊主頭の老人がいて、ときおり奇声を上げていた。出方(劇場の係員)が客を案内してくると、大きな声で、

「静かにしろ」

などと怒鳴っている。

偶然に出くわしたそんな光景も、漱石は、さりげなく胸の中に刻みつける。筆はとどこおり気味でも、常住坐臥、すべてを、いつか創作の素材に使えるかもしれないという目で見てしまう作家としての意識が、知らぬ間に動いている。

■今日の漱石「心の言葉」
実に秘密というのは恐ろしいものだねえ(『吾輩は猫である』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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