3 夏目漱石 2

今から105 年前の今日、すなわち明治44年(1911)11月14日、44歳の漱石は友人である池辺三山の訪問を受けた。三山は東京朝日新聞社の主筆をつとめていたが、森田草平の『自叙伝』が発端となった社内の争いにからんで辞任。客員という立場に退いていた。

その後、調整の上で新聞社の新しい人事が固まった。三山はその知らせを持って、漱石山房(東京・早稲田南町の漱石の自宅)を訪問していた。漱石までが「新聞社を辞める」と言い出しているので、それを慰留するためもあり、ここのところ頻繁に足を運んでいる三山だった。

新規の役割分担は、以下のようなものだった。

編集局長(主筆)は、当分のあいだ置かない。編集部長は佐藤真一、政治経済部長は松山忠二郎、社会部長は渋川玄耳、内地通信部長は西岡雄説、外報部長は米田実、調査部長は杉村楚人冠とする。このうち渋川玄耳は、編集部次長、政治経済部次長、論説選定委員を兼務する。また、三山と衝突し自身も辞表を出していた弓削田精一は、東京朝日から大阪朝日へ籍を移し、大阪朝日の東京通信部づきとなった。

複雑な社内事情の中でバランスをとろうとした結果、気がついてみると、渋川玄耳が重用されたような恰好になっていた。

面談しながら、三山の目には、漱石は渋川玄耳のことを気にかけているように見えた。玄耳は「朝日文芸欄」に必ずしも好意的ではないところがあった。また、玄耳の身辺には、ある未亡人とのスキャンダルも取り沙汰されていた。漱石としては、今回の人事は感情的に余り面白くないのではないかと、三山は受け止めたのである。

案の定と言うべきか、翌日、池辺三山は、漱石からこんな手紙を受け取った。

《御示しの社内役割は既に社長より一同へ発表せられたるものゝ由(略)社員の一人としてしか承知すべき筈のものと存じ候。さすればかねての御配慮にて御手元に御とめ置被下(くだされ)候辞表も社長の手許(てもと)迄差出すべき順序かと愚考仕(つかまつり)候えば御手数ながら左様(さよう)御取計ひ相成度(あいなりたく)願上候》

漱石は、いったん三山に預けて保留にしてあった辞表を、社長に提出してほしいといってきたのだ。

だが、周囲が思うほど、漱石の中に渋川玄耳に対する気持ちのしこりがあったかどうか。玄耳にしても、漱石個人に特段の敵愾心は抱いていなかった。それは、その後、玄耳が慰留のため、漱石のもとを訪れたことからも知れる。

漱石にとってはむしろ、一縷の望みをつないでいた池辺三山の復帰が完全になくなったことの方が重かった。弓削田精一との争いを仲裁すべく、動いてもいた漱石だった。無力感のようなものが、こみ上げていたのではないだろうか。

■今日の漱石「心の言葉」
人間の定義をいうと外に何にもない。ただいらざる事を捏造して自ら苦しんでいる者だといえば、それで十分だ(『吾輩は猫である』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

【県立神奈川近代文学館】
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。
■所在地/横浜市中区山手町110
■電話/ 045-622-6666
■休館日/月曜
※神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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