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3 夏目漱石 2

今から106 年前の今日、すなわち明治43年(1910)11月13日、43歳の漱石は、入院中の長与胃腸病院の病室で新聞に目を通していた。なにげなく見ていたのだが、ある記事を目にした途端、漱石の顔色が変わった。そこには、大塚楠緒子の死去が報じられていたのである。

楠緒子は4日前の11月9日に大磯で亡くなり、葬儀は19日に東京で行なう旨が書かれていた。

大塚楠緒子は、漱石の友人の大塚保治(美学者)の奥方であり、小説家・歌人としても知られていた。漱石が間に入って、朝日新聞紙上に連載小説『空薫(そらだき)』を書いてもらったこともあった。

才色兼備。ある日の漱石は妻・鏡子との茶飲み話が大塚楠緒子のことに及んだとき、

「あれは理想の美人だね」

などと口をすべらせ、鏡子をやきもきさせたこともあった。年齢は漱石より8つ下だから、まだ30代半ばの若さ。余りに急なことで、漱石は受け止めきれないでいた。

まもなく、大塚保治から病院に電話があった。楠緒子の死去を報知し、新聞の死亡広告に友人総代として漱石の名前を載せさせてもらってもいいかという問い合わせをしてきたのだった。

漱石は丁重にお悔やみを述べたあと、死亡広告の依頼の件についてはもちろん即座に承諾した。

漱石が伊豆・修善寺で危篤に陥ってから、なんとか持ち直しつつある今日までに、近しい人が逝去したのは、これで2人目であった。まだ漱石が修善寺で病臥していた10月5日には、長与胃腸病院の院長である長与称吉が亡くなっていた。漱石はそのことを東京に帰ってから知らされた。思ってもみないことで、呆然として、しばらく言葉を失った。

その後、自分が無事に東京に戻れたのは天幸なのだとつくづく思った。病院長でなく自分が命の綱を踏み外していたとしても、なんの不思議もなかった。そしてこの日また、自分よりも年若い婦人の訃報に接したのである。

相次ぐ知人の死を気の毒に思うとともに、自身が生きているありがたみをしみじみ噛みしめ直す漱石だった。

2日ほどして、漱石は病床の上で楠緒子へ手向ける哀悼の句を詠んだ。

《棺には菊抛(な)げ入れよ有らん程》
《有る程の菊抛げ入れよ棺の中》

やがて訪れた11月19日は晴天だった。漱石は病室の窓外に目をやりながら、

「いい天気でよかった」

と、出席できない葬儀の席に思いを馳せるのだった。

■今日の漱石「心の言葉」
生き延びた自分だけを頭に置かずに、命の綱を踏み外した人の有様を思う(『思い出す事など』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

【県立神奈川近代文学館】
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。
■所在地/横浜市中区山手町110
■電話/ 045-622-6666
■休館日/月曜
※神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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