鎌倉幕府を創設した源頼朝は、『鎌倉殿の13人』では大泉洋が演じる。

北条義時(演・小栗旬)を主人公とする2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。武家政権の基礎を固めた義時だが、その人生は周囲の魅力的な女性たちが彩った。北条義時研究で注目される新進気鋭の研究者の目を通じて、時代の潮流変化を生き抜いた人々の人間模様を活写するシリーズの第二弾!

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北条義時(演・小栗旬)の6歳年長の姉、北条政子(1157~1225/演・小池栄子)。

1199年、夫頼朝(演・大泉洋)を失った政子は出家し、尼御台所となった。このとき43歳。次の鎌倉殿には息子の頼家(演・金子大地)が就任したが、まだ若く、政子が表向きの政治に関与することもあった。

たとえば、翌1200年には、武士の岡崎義実が政子のもとを訪れ、窮乏のさまを訴えたので、頼家に命じて所領を安堵させている。

後家の力

では、なぜ政子は政治に関与することができたのか。

それは、彼女が「後家の力」を発揮したからである。平安後期ころより、後家は次の家長への中継ぎとして亡き夫の持つ家長権を代行し、子どもたちを監督する権限をもった。したがって、政子は頼朝の後家で鎌倉殿の母という立場から、幕府の政治にも関与することができたのである。

頼家との関係

1203年、頼家が重病を患い、危篤に陥る。ここで次期鎌倉殿の座をめぐり、頼家の息子一幡を推す比企氏と弟の千幡(のちの実朝)を推す北条氏が対立することとなった。政子は父時政に協力して比企氏を滅ぼし、幼い実朝を擁立した。さらに1205年には、時政を政治の第一線から退かせた。

これ以降、幕府の実権は、天台座主の慈円が「イモウト(政子)セウト(義時)シテ関東ヲバヲコナイテ有ケリ」と述べるように、政子・義時姉弟が掌握した。義時は、「後家の力」を有する最強の姉を後ろ盾にもつうえ、時政から執権職(鎌倉殿の後見役)を継承したことで、幕府政治を主導していく。

一方、頼家は伊豆の修禅寺に幽閉され、北条氏の手下に襲われて命を落とす。古くから、この殺害事件は、政子の差し金であり、当初から頼家を殺すために実朝擁立を謀ったのではないか、だから政子は冷酷で、異常性格の持ち主であると批判されてきた。政子を悪女と評する所以の一つである。

しかし、注意しなければならないのは、次期鎌倉殿に実朝が選出されたのは、頼家が危篤に陥ったからである。これはあくまで偶然の出来事であり、ゆえに政子も比企氏討伐に踏み切った。頼家の快復は予想外だったのである。

頼家の処遇には、相当頭を悩ませたであろう。頼家に出家を促したのは政子である。

しかし、比企氏(頼家の正妻は比企氏出身)や息子の一幡を殺された頼家の恨みは深く、彼のもとに反北条氏派の武士たちが集まる可能性もあった。後顧の憂いを断つには、殺すほかなかったのである。頼家殺害に政子がどの程度関与していたのかはわからないが、最終的に彼女が優先したのは、亡き夫頼朝が創設した幕府を支えていくことであった。

尼将軍として

1219年、鶴岡八幡宮で実朝が暗殺されるという悲劇が起こる。こうして政子は、ふたりの息子に先立たれた。次の鎌倉殿には、京都の九条家から2歳の三寅(のちの藤原頼経)を迎え、政子自らが政治を主導することに決めた。尼将軍の誕生である。

実朝の死を契機として、公武関係は危機を迎えていた。1221年、ついに未曾有の大乱、承久の乱が勃発する。後鳥羽院は、義時の追討を全国に命じた。

ここで動揺する御家人たちに対し、政子が頼朝の恩を演説して奮い立たせ、幕府方を勝利に導いたのは、あまりにも有名な話である。この演説は、頼朝の後家である政子の訴えだからこそ説得力を持つのである。

政治家政子の総決算

源頼朝と北条義時が眠る鎌倉の法華堂跡。

1224年6月13日、弟の義時が62年の生涯を閉じた。義時の亡骸は頼朝の墓である「法華堂」の東側に葬られ、同地におよそ2か月をかけて義時の法華堂が築かれた。頼朝の法華堂に対し、義時のそれは「新法華堂」と呼ばれた。

義時の葬儀にかかわる一連の差配をおこなったのは、尼将軍政子とみて間違いない。幕府創始者である頼朝の隣に義時の法華堂を建立することで、義時を頼朝に次ぐ幕府の創設者として位置づけたのである。義時と頼朝とが並ぶ姿は、鎌倉の人々に北条氏が別格の存在であることを印象付けたであろう。

義時の死は、幕府に動揺を与えた。義時の後妻伊賀の方は娘婿の一条実雅を鎌倉殿に擁立し、息子の政村に北条氏の家督を継がせ、執権職に就けようと画策した。しかし、政子はこれも未然に防ぎ、その処分を差配するとともに泰時を執権に据えた。

したがって、義時の権威化と並行して進められた泰時の家督継承・執権職就任は、政治家政子の総決算的事業であったといえる。

義時死去の翌年、政子もまたこの世を去る。享年69歳。鎌倉の行く末を案じて亡くなったことだろう。幕府の安定的な運営に心を砕いた人生であった。そして彼女の傍らには、いつも弟の義時がいた。

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山本みなみ/1989年、岡山県生まれ。中世の政治史・女性史、とくに鎌倉幕府や北条氏を専門とし、北条義時にもっとも肉薄していると学界で話題を集める新進気鋭の研究者。京都大学大学院にて博士(人間・環境学)の学位を取得。現在は鎌倉歴史文化交流館学芸員、青山学院大学非常勤講師。北条義時の生涯と謎に迫る初の著書『史伝 北条義時』を執筆中。

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