今から101 年前の今日、すなわち大正4年(1915)11月7日の夏目家(東京・早稲田南町)は、漱石宛てに届いたいろいろな到来物で賑わっていた。
金沢在住の英文学者で俳人の大谷繞石(正信)からは、柿が届いた。事前に大谷から、鳥(ツグミ)の粕漬けを送ると報知を受けていた漱石は、箱を開くと中から柿が出てきてびっくりした。
「どうやら、何かの事情で鳥が柿に変じたらしい」
そんなふうに思っているところへ、続けて予告通りにツグミの粕漬けが届いて、漱石は二度びっくりした。
書斎に戻ってしばらくして、漱石は荷物と一緒に届いた大谷の添え状を開いた。読み進めてみると、柿は自宅の庭先にある柿の木に自ら登ってとったものだと記されていた。漱石はそれを読んで感興がわいた。柿の木に登って苦闘している大谷の姿までも思い浮かぶ。そんな柿ならば、自分もひとつ食べてみようかと思い、妻の鏡子を呼んで持ってくるように頼んだ。
すると鏡子は、「あら、あの柿は、もうすっかり子供たちが平らげてしまいましたわ」と、事も無げにいう。
この日は日曜日で、柿はまたたく間に、夏目家の子どもたちの餌食となってしまっていたのだった。そういわれると、なんだか余計に柿が食べたくなる漱石だった。
同じこの日、高田(新潟県)の医師、森成麒造からは、たくさんの松茸が届いた。森成は、東京・内幸町の長与胃腸病院で漱石の主治医をしていた人物で、漱石が修善寺で倒れ危篤に陥った時にもそばに付き添った。その後、故郷の高田に帰って病院を開いていたのである。
「今年は松茸の出来が余りよくない」とも仄聞していたが、そのために逆に気遣ってくれたのだろうか、すでに京都、名古屋、大阪の知人からも松茸が送られてきていた。この秋の漱石は、何度となく松茸の炊き込みご飯を賞味していた。
松茸ご飯は余り胃によくないという話も、漱石はちらと小耳に挟んだことがあった。だが、胃の持病はもういまさらどうなるものでもない。病臥するような状態でない限りは、好きなものを好きなように食べればいいと、このごろの漱石は達観していた。
折角なので、今日も松茸ご飯を味わおう。北国の産だと、自ずから風味も異なるところがあるかもしれない。48歳の漱石先生、いまはすっかり柿のことを忘れ、夕飯のことを考えはじめているのだった。
■今日の漱石「心の言葉」
間もなく夕飯の膳が彼の前に運ばれた(『道草』より)

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
【県立神奈川近代文学館】
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。
■所在地/横浜市中区山手町110
■電話/ 045-622-6666
■休館日/月曜
※神奈川近代文学館の公式サイトはこちら
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。
