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光秀が丹波攻略で築いた周山城跡を望む(京都市右京区)

8月30日に放送再開が決定した大河ドラマ『麒麟がくる』。当欄ではたびたび後半戦の尺が足りるのか? という問題を取り上げて来た。光秀が5年もの歳月をかけて取り組んだ丹波平定事業の労苦が描かれなければ、本能寺の変に至る光秀の心情変化を理解できないのではないかと思うからだ。

* * *

天正8年(1580)、明智光秀はその人生の中で、絶頂の時を迎えていた。

三重大学の藤田達生教授は、最新刊『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』の中で、こう解説している。

〈天正八年には、同三年以来進めた丹波平定をなし遂げ、信長からはその恩賞として同国を宛がわれ、丹後に入国した細川氏と丹後守護家の一色氏の両氏が与力として預けられた。(中略)光秀は、近江志賀郡・上山城(京都北部から若狭に至る山間地域)・丹波という大領国を領有し、それに接する丹後と摂津・大和方面へ、さらには四国地域にも影響力をもつ、織田家随一の宿老としての地位を獲得したのである。この年は、光秀にとって人生最良の年だったといえるだろう〉

この年、光秀は新たに領国となった丹波で、ふたつの城の築城に着手している。そのうちのひとつが周山城だ。住所は京都市右京区だが、京都市内からは車で1時間強。旧国丹波に位置する。

光秀築城当時の佇まいが濃厚に残されていることで知られるこの城を、藤田教授や周山城に詳しい大山崎歴史資料館館長の福島克彦さん、地元の周山城址を守る会の皆さんとともに登城した。

山城だけに勾配のきつい個所があるものの、季節を選べばそれほど苦にはならないが、初夏の5月から秋口までは厳重なヒル対策が必要といわれる。登山道中腹の尾根筋からは麓の山国庄や弓削庄が見渡せる。

数多く遺された石垣遺構、本丸跡など見どころも多い。石垣の組み方が独特な場所が多い。細部に至るまで丁寧に石垣が設けられており、光秀の性格の几帳面さが伝わってくるという。

天正9年8月。光秀は、この城に茶人の津田宗及を招き、十五夜の月見と連歌の宴を催していたことがわかっている。

人生の頂点で催された月見の宴といえば、誰しもが平安時代の関白藤原道長の〈この世をば 我が世とぞ思う 望月の かけたることもなしと思えば〉の古歌を思い浮かべるだろう。織田家随一の風流人であった光秀もまた、宴の途中で道長の古歌のことが頭をよぎったであろうか。

しかし、光秀絶頂の時間は、長くは続かなかった。周山城での宴の半年後には、絶頂からの転落の刻が待っているのである。

石垣遺構をよく残す周山城。随所に光秀の几帳面な性格が表れているという。

* * *

ライターI(以下I): 周山城のある京北周山は、住所が京都市右京区ですが、京都駅から車で約1時間30分ほど離れた場所にあります。

編集者A:取材したのは昨年の11月。実は、夏にも藤田教授の著書『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』の取材に行ったのですが、その際は大雨で城跡に登ることができませんでした。夏にはヒルが出るというので万全の対策をして行ったのですが(笑)。

I:なぜ光秀がこの場所に築城したか? 地図を見れば明白になるんですよね。日本海側の開運の要衝小浜と京都を結ぶ「周山道」に位置するわけです。

A:光秀は近江の坂本城も領し、琵琶湖の海運も掌中にありました。つまり物流の拠点を押さえる織田家中の大大名だったわけです。

I:取材の際には、地元の菓子店「亀屋廣清」のご夫婦にお世話になりました。同店は〈周山城址を守る会〉の広報を担当されていて、店内には登城時に役立つ資料が置かれていました。

登城道の中腹から見渡せる荘園。

A:「麒麟がくる」では、岐阜県や京都府で6つもの「大河館」ができています。京北周山には「大河館」こそないものの、光秀の黒塗りの木像のある慈眼寺(次回に詳報)と周山城があります。京都市から少し離れていますが、訪ねて損はないところだと思います。

I:そう思う理由をもう少し詳しく教えてください。

A:登城の際に、眺望が開ける場所があり、右側に山国荘、山を挟んで左側に弓削荘と中世からの荘園が見渡せる場所があります。まさに歴史的景観でした。このうち山国荘は、禁裏御料(皇室の領地)として著名な荘園で、光秀が平定する前には地元の豪族に押えられていました。

I:光秀が丹波を平定したことで、山国荘を朝廷に帰することができたわけですね。

A:はい。そのことで光秀は正親町天皇から賞されたそうです。光秀にとって名誉なことだったと思います。周山城から眼下に広がる山国荘を望んで、光秀の心情に思いを馳せると胸が熱くなる思いがしました。

I:そのほか周山城には石垣遺構がかなり残っていました。『麒麟がくる』でも律儀で精緻な光秀が描かれていますが、周山城の造りにも光秀の性格が反映されているということでした。

A:本当にそうですね。そして本丸跡にたった時に、この城で月見と連歌の宴を開いていたというエピソードのことを考えると、本当に胸熱でした。宴が開かれた天正9年8月といえば、本能寺の変の10か月前です。同じ年の6月には信長への感謝の思いを込めた軍法もまとめていました。それなのになぜ、信長を討つという方向に舵を切ったのか、本当に謎です。

I:『麒麟がくる』はそうした光秀の心情の変化をどこまで描くんですかね。

A:それは今後の焦点ですが、周山城で光秀はどんな月を見たのか。取材時には月は見られませんでしたが、今度は周山で月見をしたいですね。

『麒麟がくる』での、信長の可能性を確信した光秀(演・長谷川博己)。ふたりの飛躍はこれからだ。
京都市街から車で約1時間半。周山は交通の要衝だった。

※この記事は、『サライ』2020年2月号 「明智光秀 波乱の生涯を旅する」から再構成しました。

●ライターI 月刊『サライ』ライター。2020年2月号の明智光秀特集の取材を担当。猫が好き。
●編集者A 月刊『サライ』編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の「半島をゆく」を担当。初めて通しで視聴した大河ドラマは『草燃える』(79年)。NHKオンデマンドで過去の大河ドラマを夜中に視聴するのが楽しみ。編集を担当した『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』(藤田達生著)も好評発売中。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

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