戦後、ひたすら奈良・大和路の風景、仏像、行事などを撮り続けた写真家、入江泰吉(いりえ・たいきち 1905~1992)。その後の写真界に多大な影響を与えた彼の作品は、入江泰吉記念奈良市写真美術館に保存・展示されている。現在、同美術館では入江泰吉生誕110年を記念して『回顧 入江泰吉の仕事』展を開催。戦前の文楽の写真から亡くなる直前の作品まで、全127点が鑑賞できる。その中から代表的な作品を取り上げ、入江泰吉の活躍の軌跡と大和路の知られざる魅力を案内する。

 

「宵月薬師寺伽藍」。東西の塔と金堂が再建され奈良時代の伽藍が甦った。(1982年頃 *)(*は展示作品)

「宵月薬師寺伽藍」(1982年頃 *)。東西の塔と金堂が再建され奈良時代の伽藍が甦った(*は展示作品)。

若き日の入江泰吉。兄にもらったカメラが入江の後の人生を決めた。

若き日の入江泰吉。兄にもらったカメラが入江の後の人生を決めた。

西の京MAP

西の京周辺の地図。


「古色」を帯びた大和路の風景

入江泰吉は昭和45年(1970)に写真集『古色大和寺』を刊行した。後に、この『古色大和路』と『萬葉大和路』『花大和』の三部作で第24回菊池寛賞を受賞する。

タイトルの「古色」に、入江はどんな思いを託したのか。それは在りし日、つまり古代の大和の気配という意味である。

入江が大和路を撮り始めた頃、西の京の二大名刹、薬師寺と唐招提寺は参拝者がまだ少なく、土塀は崩れんばかりの状況だった。まさに文字通りの「古色」の風情であった。1957年頃に撮影された「薬師寺塔遠望」を見ると、若草山を背景に薬師寺の東塔だけが、まるで孤立するかのように立っている。それは入江がいうところの「古色」にもっともふさわしい景観であった。
 

「薬師寺塔遠望」。春日山を背景に奈良時代の国宝東塔だけが立つ。塔の左後方は若草山。(1957年頃)

「薬師寺塔遠望」(1957年頃)。春日山を背景に奈良時代の国宝・東塔だけが立つ。塔の左後方は若草山。

 
入江がちょっと遊び心で撮った1枚がある。薬師寺西塔の礎石に水がたまり、そこに映る東塔の姿を撮ったものだ。この一枚が思わぬ人気をよび、薬師寺の観光ポイントともなった。

現在は西塔が再建され、この景観は写真の中にしか残っていない。

「水に映る薬師寺東塔」。この景観は旅行者の人気スポットだった。(1955年頃 *)

「水に映る薬師寺東塔」(1955年頃 *)。この景観は旅行者の人気スポットだった。

 
甦った薬師寺

薬師寺の創建は飛鳥時代の天武天皇9年(680)とされる。その後、都が奈良へ移り、養老2年(718)に薬師寺も現在の地に移された。その後、法相宗(ほっそうしゅう)の名刹として栄えたが、亨禄元年(1528)、金堂や西塔などを火災で消失。長らく伽藍再興はならなかった。

昭和42年(1967)、当時の住職・高田好胤(たかだ・こういん)は「百万巻写経勧進」による金堂再建を決意。全国から浄財が寄せられ、金堂は昭和51年(1976)に完成する。続いて昭和56年(1981)に西塔が再建され、今では南大門・金堂・大講堂が直線状に並び、大寺院本来の姿を取り戻している。

真新しい堂塔が並ぶ風景は「古色」とはほど遠いものだったが、入江はむしろ新しい薬師寺の姿を積極的に撮影した。

「宵月薬師寺伽藍」。右が国宝の東塔、中央が再建された西塔、左がやはり再建された金堂。(1982年頃 *)

「宵月薬師寺伽藍」(1982年頃 *)。右が国宝の東塔、中央が再建された西塔、左がやはり再建された金堂。

 
入江は薬師寺の西にある勝間田池(大池)がお気に入りの撮影ポイントであった。池を前景に取り入れ、背後に春日山を配し、新旧の堂塔伽藍を浮上させる。

後方の春日山の一画に若草山が見える。入江お気に入りの撮影ポイントは、例年1月の第4土曜日に開かれる若草山山焼きの絶好の見学地点でもある。真っ赤に燃える山を背景に、くっきりと浮かぶ薬師寺の伽藍。今では多くのアマチュアカメラマンが集まり、傑作をものにしようと次々にシャッターを切る。

「唐招提寺金堂」。入江はしばしば夏空の西の京を撮影した。(1970年頃 *)

「唐招提寺金堂」(1970年頃 *)。入江はしばしば夏空の西の京を撮影した。


鑑真和上の思いを伝える唐招提寺

さて、薬師寺とともに西の京を代表する名刹が唐招提寺である。創建は天平宝字3年(759)、開基は、天平勝宝5年(753)に多くの苦難を乗り越え日本にやってきた鑑真和上(がんじんわじょう)。鑑真はそれまで日本の仏教界でよく理解されていなかった「戒」と「律」を伝えた。戒は、仏教徒が自らに課す戒め。律は集団で修行するうえでの規則である。

「唐招提寺金堂列柱」(1984年 *)

「唐招提寺金堂列柱」(1984年 *)。

 

唐招提寺の金堂、講堂、経堂いずれも奈良時代の国宝建築である。金堂の正面には8本の柱が立つまるでギリシアのパルテノンには共通点や微妙な違いがある。例えば、唐招提寺金堂の柱の間隔は中央が最も広く、左右に行くほど順に狭くなっているが、パルテノン神殿は両端部の柱の間隔だけが狭い。

金堂の8本の柱は中央部から上部へいくに従って少しずつ細くなる。この技法は「エンタシス」とよばれ、法隆寺の回廊の柱にも使われているがどのようにして日本に伝わってきたのか、それは依然として謎のままである。

入江と深く交流した歌人の会津八一(あいづ・やいち)は、この柱を主題に名歌を残した。

<おほてら の まろき はしらの つきかげ を つち に ふみつつ もの を こそ おもへ>

歌人にして古代美術の研究家だった会津八一。

歌人にして古代美術の研究家だった会津八一。

 
首のない仏像

唐招提寺には金堂の千手観音など国宝に指定されている仏像が多い。入江はもちろんそれらの名品をすべて撮影しているが、ほとんど現状をとどめない「破損仏」にとりわけ興味を抱いた。

その中の1体に首のない如来形立像がある。入江は四体揃った仏像より破損仏のほうが《佛教芸術の頂点を示す技法の冴え、気魄の激しさが、よく伝えられている》と述べている(『仏像の表情』)。

 

「唐招提寺如来形立像」。現在は新宝蔵に安置されている。(1959年 *)

「唐招提寺如来形立像」(1959年 *)。現在は新宝蔵に安置されている。

 

入江はある年の奈良大和路観光ポスター撮影に、この如来形立像をメイン写真に据えたことがある。ポスターは各地の駅や役所に貼られたが、当時の国鉄の駅で次々にはがされてしまった。なぜなら、ちょうどその頃、国鉄では大規模な人員整理が進んでおり、衆生に救いの手を差し伸べるはずの如来形立像は、国鉄の当事者たちにまったく別の印象を与えてしまったからだ。
 
唐招提寺の金堂は平成21年、平成の大修理を終えた。3体の国宝仏も新たに身を整え、鑑真和上の教えを後世に伝えようとしている。

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入江泰吉記念奈良市写真美術館


入江泰吉記念奈良市写真美術館

生誕110年「回顧 入江泰吉の仕事」
会期/2015年10月10日(土)~12月23日(水・祝)
住所/奈良市高畑町600-1
電話/0742・22・9811
時間/9時30分~17時(入館は16時30分まで)
観覧料/一般500円
駐車場/美術館から南へ約50m(普通車39台まで駐車可能)
アクセス/JR・近鉄奈良駅から市内循環バス「破石町」下車、東へ徒歩約10分、新薬師寺西側
入江泰吉記念奈良市写真美術館の公式サイト

 

発売中の『回顧 入江泰吉の仕事』(光村推古書院)。展覧会の展示作品と未発表作品など367点が収録されている。3800円+税。書店または美術館で購入できる。

展覧会の展示作品と未発表作品など367点が収録されている『回顧 入江泰吉の仕事』(光村推古書院 3800円+税)。書店または入江泰吉記念奈良市写真美術館で購入できる。

 
文/田中昭三
京都大学文学部卒。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。
地図/蓬生雄司

 

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