新入生の気分で奮闘!昭和基地での夏期オペレーション始まる【南極観測隊シェフ青堀力の南極紀行3】

夕日を背にしたしらせ

文/青堀力(料理人、南極観測隊シェフ)

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12月23日、砕氷船「しらせ」からヘリで飛び立った私たち第一便は、昭和基地に降り立った。9年ぶりの昭和基地だ。空から見下ろすと、見慣れない建物やアンテナが建っていた。時の流れを感じた。

これまで一年間、昭和基地を守ってきた57次隊が「ようこそ昭和基地へ」の横断幕を掲げ、私たちの乗ったヘリを出迎えてくれた。皆一様に、強い紫外線で真っ黒に日焼けし、髭をたくわえ精悍な顔立ちをしている。一年間、様々な困難を乗り越えてきた自信がそうさせるのであろう。

隊員服は度重なる外作業で汚れ、中には破けている者もいる。真新しい隊員服に包まれた私たち58次隊は、なんだか高校の新入生のような気分だ。上級生を見てとても大人に感じたあの時の気持ちと重なる。

57次隊のお出迎え

57次隊のお出迎え

簡単な挨拶が終わった後、早速、私たちの夏期間中の宿となる「第一夏宿舎」、通称「一夏」へ移動した。2月1日の越冬交代までこの一夏と二夏(第二夏宿舎)とが我々の寝床となる。

一夏には食堂・トイレ・風呂・洗面所がついており、隊長と数名の隊員と「しらせ」支援の方々の宿舎となり、他の隊員は200メートルほど離れた二夏で寝る。この二夏には水が通っておらず、もちろんトイレも風呂もない。

夏宿の調理風景

夏宿の調理風景

一夏では夏期間中、「しらせ」補給科の調理員の方々が来て食事を提供してくれるのだが、「しらせ」が昭和基地に接岸するまでの約一週間程度は、私たち越冬調理隊員が食事の担当となる。

■南極料理スタート!

「しらせ」から送られてきた食料を見て早速調理に取り掛かる。オーストラリアを出てから20日経っている。野菜は生鮮品があるのだが、肉や魚は冷凍品で溶かすのに時間がかかる。水は貴重なので流水で解かすわけにはいかないから、基本的に自然解凍させるしかない。

タラバ蟹のボイルとカツオのたたきの冷凍をバットに入れ、「一夏」内の温かい場所を探し回る。一階より二階のほうが温かそうだ。全面が空気に触れるよう、食材の下に箸を渡し少しでも早く溶けるよう工夫した。

今度はご飯だ。プロパンガスの炊飯器があったのだが、なかなか火がつかない。うーん困った。ふと保温ジャーを見ると、炊飯モードがついていることに気づく。助かった! 相方の内村シェフ(通称うっちー)とともに、付け合わせと副菜、みそ汁を作る。ふー、なんとか間に合いそう。

蟹の甘酢を作り、あとはメインの蟹とカツオのたたきを切るだけ。だが急いで二階に駈け上がって絶望した。全然溶けてない……。考えてもしょうがない。とりあえずカツオは表面だけ貯め水で洗い、先ほどと同じように放置した。

蟹は凍ったまま無理やり切る。タラバの表面は氷でコーティングされていたが、包丁の背で氷をこそげ落として半分にカット。まな板の上で凍った蟹の足は滑りやすい。誤って手を切らないように慎重に、慎重に。半分にカットしてやると、みるみる内に溶けていった。

蟹を切り終わると、カツオもいい具合に溶けていて、何とか予定の時間に間に合った。

夏宿の食事風景

夏宿の食事風景

食事を終えると、次の日以降の献立を決め、解凍物を出し、朝食の下準備。それが終わるとやっと最初の一日が終わった。思えば前職のホテルを5月に辞めてからこの日まで、まともに料理したことがなかった。いきなりの実戦モードで、9年ぶりの昭和基地の余韻に浸る間もなかったが、いよいよ南極生活が始まったことを実感した。

翌日はクリスマスイヴ。食材に限りがあったが、できるだけクリスマスをイメージできるような食事にした。

鶏を皮目パリパリにソテーし、ブロッコリーとウィンナーのパスタ、具沢山のミネストローネ。みんな「うまい、うまい」と食べてくれ、自然と顔がほころぶ。美味しいものを食べると会話が弾む。

夏期間中は、雪がないときにしかやれない作業が満載だ。氷上輸送に燃料輸送、新しい建物の建設や様々な機器の整備、アンテナの保守、等々。皆、なんとか期間内に終わらせようと、休む間もなく必死に働く。自然と食べることだけが一日の中で一番の楽しみとなってくる。食事はコミュニケーションを保つ大切な時間なのだ。

クリスマスの食事

クリスマスの食事

■雪上車で氷上輸送にいそしむ

12月27日、突然、車両担当の伊藤さんから声をかけられた。「青ちゃん、雪上車運転したことあるよね」……そして翌28日から、私は氷上輸送のメンバーとなった。

砕氷船「しらせ」は、毎年様々な物資を南極まで運んでくる。観測資材、建築資材、車両や雪上車、食料、燃料等々。これらはヘリコプター空輸もしくは雪上車での氷上輸送、燃料は基地近くで接岸できれば配管輸送(氷が厚く接岸できなければリキッドコンテナに移し替え空輸)で行われる。この輸送をできるだけ早く終わらせることが夏期間の全体の作業に余裕を持たせるカギとなってくる。

しらせから降ろされる雪上車

「しらせ」から降ろされる雪上車

ペンギンも挨拶に

ペンギンも挨拶に

氷上輸送は、氷の溶けづらい夜間に行われる。夜間と言ってもこの季節の南極は「白夜」なので、日は一日中沈まない。

24時を過ぎても煌々と光る太陽

24時を過ぎても煌々と光る太陽

9年ぶりの雪上車運転。乗車前のチェックから始まり、慣らし運転に入る。少しずつ思い出す。それからいきなり本番。コンテナ用の大きな橇を引き、海氷に出る。ところどころクラック(海氷上の割れ目)が見える。青い旗が立ててありクラックの危険を示している。

過去、何度かこのクラックを踏み抜いて雪上車が落ちた事例がある。慎重にクラックに対して垂直に渡っていく。途中かなり深いクラックがあり海水が見えるほど空いていた。パドル(海水が染み出しシャーベット状になっているところ)もいくつか確認できる。

コンテナを引く雪上車

コンテナを引く雪上車

しばらくすると海氷上に浮かぶ「しらせ」が見えてきた。夕焼けに照らされた船体は素晴らしく奇麗だった。

夕日を背にしたしらせ

夕日を背にした「しらせ」

「しらせ」から出される荷物を黙々と昭和基地まで運ぶ。20時から始めた作業は朝の5時過ぎまで続けられたが、緊張で全く眠くなかった。

コンテナ氷上輸送

コンテナ氷上輸送

雪上車を運転する私

雪上車を運転する私

一夏に帰ると一気に緊張から解かれ、朝食をとった後は泥のように眠った。30日まで作業は続き、無事、全物資を運び終えることができた。その間、厨房は内村シェフ一人。朝5時前には起き22時過ぎまで50名分の料理を一人でこなしたのだ。初めての南極で本当に凄いの一言。うっちー、お疲れさん!

■観測施設の建設を手伝う

大晦日は「しらせ」に戻り、「しらせ」乗員とともに年越しと正月を楽しんだ。2日、昭和基地に「しらせ」乗員と共に戻ってきたので、ここでひとまず調理作業をバトンタッチ。3日からは私たち調理隊員2名も夏作業の手伝いに回った。

南極での楽しみの一つに、いろいろな仕事を体験できるということがある。観測隊は様々なプロの集まりであるが、部門ごとのプロは1名ないしは2名だけである。だから各担当者はずぶの素人を率いて、様々な観測・設営作業をこなさなければならない。

調理隊員だからと言って料理だけ作っていればいいとはならないのである。雪上車にも乗れば重機に乗って除雪することもある。有事には医者の助手をすることだってあるのだ。

私は前回の南極越冬時に、このことが非常に面白く感じられた。様々なプロと仕事をすることで自分の人間の幅が広がり、自分の仕事にも活きているように感じられたからだ。今回も夏作業を楽しみにしていた。

私は主に「基本観測棟」の建設工事を手伝った。これは現在の気象棟・地学棟・電離層棟・環境科学棟と4つに分かれているものを一つに統合する新しい建物を作る作業だ。57次隊で基礎を作り、58次で1階部分、59次で2階部分と3年がかりで作っていく。

作業初日、やる気満々で行ったはいいが、現場を見て思わずひるんだ。鉄骨が組まれているだけで床がない! 下にネットは張られているが、雪が吹き抜けるよう高床になっているので、一階部分と言っても下まで2メートル以上ある。ここにクレーンで吊った床材をはめていくのだ。

建築隊員たちは細い梁の上をすいすい歩いていく。安全帯をつけ、大きく深呼吸して最初の一歩を踏み出す。私にはとても無理だ。結局、梁の上にまたがり両手をついて移動していくことにした。

梁を歩く建築隊員

梁を歩く建築隊員

ネットは張ってあるが恐くて立てない

ネットは張ってあるが恐くて立てない

枠に接着剤を塗り、床板がはまればビスで固定していく。一枚、床板がはめられるとがぜん安心感が出てくる。はまりの悪いところは大きなハンマーで寄せたり叩いたりしながら、この日は計10枚の床板が張られた。

料理は記憶には残るかもしれないが、食べたら終わりとも言える。だからこそ、むこう30年は確実に残る建物を建てるという仕事は、とても意義のあることに感じられた。子供が大きくなったら「この建物はお父ちゃんが建てたんだぞ」って言えるのは、やはり素晴らしい!

建築隊員の指示で、日々、建物はその形を成していく。床が張り終わると、柱を立てる。柱同士をつなげるピンをハンマーで打ち込む。この作業が大変だった。直径1センチ、15センチ程の長さのピンなのだが、柱同士が少しずれているとうまく入っていかない。

調理で使う筋肉とは全く別の筋肉を酷使する為、作業を終えると背中がしびれるように痛む。手も握力がなくなるほどだ。

柱を立て終えると、その間に壁パネルを入れていく。上下左右に3名ずつ配置し、声を掛け合いながらはめていく。このころになると、自分が次に何をしたらよいかが分かってきて、パネルがはまると次の箇所に工具を持って行く者、パネルと柱をビスで固定する者など、みな指示がなくても動けるようになってきた。

こうなると作業スピードも格段に上がる。一日一日、鉄骨だけだった姿がだんだん建物へと変わっていった。

はめ終わった床パネルと。遠くに氷山が見える

はめ終わった床パネルの上に寝転ぶ筆者。遠くに氷山が見える

1月18日、二階床部分のパネルを入れて中に雪が入り込まない様にブルーシートで覆いつくし、足場を解体して58次隊としての基本観測棟工事が終了した。夏隊、建築隊員の後藤さん、鳶の佐藤さん、大工のユージ、3人の安心した顔と、なんだか寂しそうな感じの入り混じった表情が印象に残った。

ブルーシートを覆った基本観測棟

ブルーシートで覆われた基本観測棟

その後、アンテナの基礎工事、旧汚水処理棟の解体工事等を手伝い、私の夏作業が終わった。

足場を撤去した基本観測棟

足場を撤去した基本観測棟

■送別会でまさかの大ピンチ!

1月27日、57次隊の送別会が行われた。場所は57次隊が基礎を作り、58次隊が一階部分を作った基本観測棟であるた。屋外では私たちの「南極ピッツァ」とBBQが、屋内では58次総隊長による寿司が振舞われた。

本吉隊長率いる「本寿司」は快調なスタートを切ったが、我ら南極ピッツァ・BBQ班は最悪なスタートだった。なんと火がつかない! 気温が低いのが最大の原因である。

送別式は57次・58次建築隊員の後藤さんによるラジオ体操から華々しく始まった。しかし火がつかなくて焦る我ら58次隊は、ラジオ体操を横目に、送風機の音けたたましく、何とか火をつけようと必死だった。

もし火がつかなければ食べ物はほぼゼロとなってしまう。これは大変マズい状況である。

私がそろそろ次の手を考えなければ……と思ったその時、車両隊員の伊藤さんから「よしっ!」の一言。見ると炭に火が起こり、十分な火力が得られている! ピザ窯も煌々と薪が燃えている。「凄い!」「やった!」皆の心が一つになった瞬間だった。

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交代で楽しみながら焼きました

交代で楽しみながら焼きました

火がつき急いで焼く隊員たち

火がつき急いでBBQに取り組む隊員たち

皆笑顔

みんないい笑顔!

57次隊、58次隊のそれぞれにとって思い入れのある基本観測棟での送別会は、ことのほか盛り上がった。

57次、58次、しらせ乗員で大いに盛り上がった

57次隊、58次隊「しらせ」乗員、皆で大いに盛り上がった

本吉隊長の寿司も振舞われた

本吉隊長の寿司も振舞われた

寿司屋台は小堺一幾さんのお父さんからの寄贈品

寿司屋台は小堺一幾さんのお父さんからの寄贈品だそうだ

2月1日、ついに「越冬交代」の日を迎えた。あいにくの荒天で、普段「19広場」と呼ばれる国旗を掲揚している広場の前で行われる式典が、急遽、管理棟の食堂で行われることになった。この式後、昭和基地の運営が57次隊から58次隊に正式に引き継がれる。

57次隊の方々は皆、やり切った晴れ晴れとした顔をしていた。我ら58次隊はというと、夏作業を経て培った経験で、こちらも皆いい顔をしている。強い日差しで焼けた肌も凛々しさを増している。もう新入生ではなくなったのだ。

各隊の隊長の挨拶が終わると全員と握手を交わし並び位置を入れ替わった。いよいよわれら58次隊の越冬生活が始まる。(続く)

基本観測棟からの風景

基本観測棟からの風景

文・写真提供/青堀 力
イタリア料理、フランス料理店で修業後、第49次南極地域観測隊に調理担当として参加。帰国後、在ラトビア日本大使館公邸料理人、ホテルグリーンプラザ白馬料理長を経て2016年、第58次南極地域観測隊として再び南極の地へ訪れる。

※今年2017年は日本の南極観測60周年にあたります。
国立極地研究所公式サイト: http://www.nipr.ac.jp/