洋館停車場のスタイルを残す懐かしい駅舎!伊那八幡駅(JR飯田線)【訪ねて行きたい鉄道駅舎 第10回】

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文・写真/杉﨑行恭(フォトライター)

駅舎の改築が進むJR飯田線、そのなかで開業時の姿を保っている駅がある。豊橋から電車に乗ること約4時間、ようやく長野県飯田市に入ったところにある伊那八幡駅だ。

ここまでの数駅、川路、時又、駄科の各駅舎(いずれも雰囲気のいい駅舎があった)はすでに取り壊され、まるで公衆トイレのように簡素化されてしまった。それでも伊那八幡駅だけは、風格ある洋館停車場のスタイルを残している。

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2両連結の電車からおりて、あらためて駅舎をながめる。飯田市の市街地にある駅舎は存在感充分だ。

玄関にマンサード形のファサードをつけ、左右の入母屋に小さな切妻をつけている。そして壁にはモルタルの「掻き落とし」で凹凸を出し、一部に幾何学模様も描いてのっぺりとしがちな外壁に陰影をつけている。和風建築のように軒を張り出さず、引き締まった箱のような印象の秀逸なデザインだ。

すでに平成6年(1992)に無人化され出札窓口も閉鎖されているが、以前は急行列車も停車し、多くの駅員がいたと、客待ちのタクシーの運転手さんが話していた。

待合室の屋根にはかつて照明が下げられていた梁組みも残されていた。

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駅舎についている「建物資産票」をみると「S.01.12」となっている。これは「昭和1年12月」を意味する。

飯田線のこの区間が開業したのは、大正15年12月17日、そして大正天皇が崩御したのが12月25日。つまり昭和1年(昭和元年)はわずか1週間しかなかった。伊那八幡駅舎は、まさにこの大正が昭和に変わるちょうどそのときに誕生した駅舎ということになる。

当時は飯田方面から延伸してきた伊那電気鉄道の終着駅として開業し、構内に変電所もある主要駅であった。天竜川の電源開発と密接な関係にあった路線だけに、ローカル区間にもかかわらず、開業時から直流1200Vの電化された鉄道でもあった。

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駅名の「伊那八幡」は、近隣にある鳩ヶ峰八幡宮に由来する。かつては天竜川の舟下りの弁天乗船場も、この駅が下車駅だったという。いまは観光的な雰囲気はすっかりなくなったが、その昔は行楽の駅でもあったのだ。

地図を見ると、北上してきた飯田線はこの付近から大きく西に進路を変え、天竜川の支流、松川の上流部に迂回する。伊那谷にみられる「田切地形」を超える、飯田線名物の「オメガカーブ」が、この伊那八幡駅から始まるのだ。もしこの駅まで電車で旅されるなら、大きく変化する車窓風景にも注目してほしい。

ともあれ、豊橋から辰野まで全長195㎞にもおよぶ長大な飯田線(起終点も含めて94駅もある)のなかで、豊橋から数えて57駅目にあたるのが、この伊那八幡駅。この駅を出発すると、やがて左右に南アルプスと中央アルプスが見え始め、伊那谷のスケールがどんどん大きくなっていく。そして飯田線の旅は、まだまだ続く。

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【伊那八幡駅(JR東海 飯田線)】
相対式ホーム2面2線の無人駅
所在地:長野県飯田市八幡町2191
駅開業年月日:1926年(大正15)12月17日
アクセス:豊橋から飯田線各駅停車で約3時間50分

文・写真/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。