文/後藤雅洋

テナー・サックス奏者、ジョン・コルトレーンの演奏をひとことで言い表すと、「〝業〟の音楽」と呼べるのではないでしょうか。

私はかつて、ジャズはミュージシャンの個性が強く反映された音楽という意味で「ジャズの面白いところは〝人の音楽〟だから」とパンフレットに書いたことがあります。それはジャズマンの人柄が「音楽的」に表現されているという意味です。しかしコルトレーンの場合はもっとダイレクトで、「音自体」に〝コルトレーン印〟が付いているような印象があるのです。

高校生のころ、初めて入ったジャズ喫茶で聴いたミュージシャンがジョン・コルトレーンでした。もちろんそのときはコルトレーンが何者かなどまったく知りませんでしたが、「音の力」というのでしょうか、いや、むしろ「異様な気配」といったほうがいいような強烈なインパクトを受けたのです。今になって思うと、それはコルトレーンという一風変わったジャズマンの〝業〟のなせる技ではなかったかと思うのです。というのも、ほとんど初めてジャズを聴くようなファンにも、ある種の「力」を感じさせるようなジャズマンは他にいないからです。

コルトレーンの「表現」は、ジャズを知らない人間にも伝わってくるのですね。これは凄いことではないでしょうか。

日本に幅広くジャズが紹介された1960年代、ジョン・コルトレーンとソニー・ロリンズは「2大テナー・サックス奏者」としてファンの人気を2分していました。興味深いのは、1930年(昭和5年)生まれで1926年生まれのコルトレーンより4歳年下のロリンズが早くも50年代に頭角を現したのに対し、コルトレーンの人気が絶頂期を迎えたのは60年代を迎えてから。コルトレーンは相対的に遅咲きなジャズマンであったといえるでしょう。

実際、50年代半ばに花形バンド、マイルス・デイヴィス・クインテットに参加したばかりのころのコルトレーンはけっして上手なテナー奏者とはいえず、一部のファンはマイルスに対し「なんであんなテナー奏者を入れたんだ」と非難の声を浴びせたのでした。

このエピソードは面白い暗合を感じさせます。そのマイルスも、天才といわれたアルト・サックス奏者、チャーリー・パーカーのサイドマンに若くして採用されたころは、けっして上手なトランペッターとはいえなかったからです。しかしマイルスもコルトレーンもジャズ史に輝く業績を残した文字どおりの「ジャズの巨人」なのです。

もうひとつ興味深いことは、「モダン・ジャズの開祖」であるパーカーとマイルス、コルトレーンがリーダーとサイドマンという関係で鎖のように繫がっていることです。これはけっして「偶然」ではなく、「ジャズは人の音楽」であることの結果なのです。

ジャズという音楽は学校で習ったり理論書を読んで身につくようなものではありません。譜面に書ききれない微妙なニュアンスや即興演奏に臨む姿勢などというものは、実際にその道の先達と共演しなければ実感できないのです。それは「模倣」というレベルだけでなく、「ジャズってなんだろう」という根源的なことを各自が発見・体感するうえで避けて通れない過程なのですね。ジャズはジャズマンの生身の存在を介して伝わる「伝承文化」なのです。

実際マイルスはパーカーの「即興至上主義」を「批判的」に継承して「モダン・ジャズ」の領域を広げました。同様なことがコルトレーンの場合にもいえるのですが、彼の場合はかなりユニーク。そこに彼の〝業〟の話が関係してくるのです。

■普通の人の〝聖人伝説〟

〝業〟を背負っているといっても、コルトレーンはパーカーのように奔放奇抜な行動をした異形の天才というわけではありません。また、66年の来日時の記者会見で「私は聖者になりたい」と言ったことから、一種の「聖人伝説」が流布されましたが、これもちょっとした誤解がもとになっているようです。

コルトレーンが当時宗教に強い関心をもっていたことは事実ですが、どうやらこの場合の「聖人」は、私たちが「聖人君子じゃないのだから、時には浮気のひとつやふたつ……」などと話すような、まったく別の意味であった可能性があるのですね。

というのも当時コルトレーンはモテモテで4人もの女性がいたのですが、彼女たちとの関係を清算し、これからはパートナー兼共演ピアニストのアリス・コルトレーンと人生を共にする決意表明という意味で、記者会見に同席していたアリスに対して「聖者になりたい」と言った可能性があるのです。最近発掘されたそのときの会見テープを聴くと、アリスに続いてコルトレーンの「照れ笑い」らしきものが聞こえるのです。要するに「もう浮気はしないよ」という意味ですね。

それと、名演「ブルー・トレイン」が収録されている同名アルバムのジャケット写真など、いかにも思索深げな表情ですが、よく見ると彼は飴をしゃぶっている! コルトレーンはけっこう甘党なのです。また、彼が麻薬中毒のためにマイルス・バンドを一時追い出されたのは有名な話。

要するにコルトレーンは、悪い意味ではないのですが、一個人としてはわりあい「普通のいい人」なのです。しかしその「普通の人」がまったくもって「普通でない音楽」をやってしまったところにこそ、私はジャズマンならではの〝業〟を見るのです。

それをひとことで評せば「生真面目」。彼は音楽に対してはもちろんのこと、おそらく「人生」に対してもきわめて生真面目だったのではないでしょうか。だって、記者会見の席上で「反省」しちゃったりしているんですよ! 異国の私たちには細かい人柄は伝聞でしか伝わってきませんが、コルトレーンの死後、共演者たちが異口同音に嘆き悲しみ、彼の音楽を賞賛したことが彼のよき人柄を表しているといえるでしょう。

■ジャズ喫茶のヒーロー 

思うに、その「生真面目さ」がコルトレーンの特異な「音の力」の源泉なのではないでしょうか。というのも、おおむねジャズマンという人種は音楽面はさておき、私生活においてはけっこう「ちゃらんぽらん」な方々が多く、その代表選手が「ジャズの王」チャーリー・パーカーだったという「歴史」があるのですね。

そうした音楽風土においては、コルトレーン流生真面目音楽は貴重というか、若干異端の趣すらあるのです。というのも、パーカーは言うまでもなく、「古きよき時代」のジャズマンの音楽には、真剣さの裏側に一種の諧謔というか洒脱さが潜んでいるものなのですが、わりあいコルトレーンは真剣1本やりなのですね。

このことが日本における「コルトレーン受容」に思わぬ影響を及ぼしているのです。というのも60年代に日本にジャズ文化が流入した際、その窓口となったのが「ジャズ喫茶」でした。そしてそのヒーローがまさしく今回の主人公、ジョン・コルトレーンだったのです。大げさでなく、60年代のジャズ喫茶では、ジョン・コルトレーンの叫びが聞こえない日はなかったといってもいい状況でした。

そしてそのコルトレーン人気を支えていたのが、なんと学生運動家たちだったのです! つまり当時コルトレーン・ミュージックは、きわめて政治的な文脈で支持を得ていたのです。

要するに、アメリカにおける人種差別反対運動と日本における反体制勢力が共鳴したということですね。付け加えるに、来日時の「聖者発言」が宗教的意味まで帯びてしまい、肝心のコルトレーンの音楽面に対する関心が相対的に薄くなっていたのでした。

それに輪をかけたのが、彼の「生真面目さ」で、真面目好き日本人体質にフィットした面が少なからずあったのです。しかし、そうした一種の「偏向」も今や昔話。現在ではもっと音楽的にコルトレーンが愛聴される土壌が育っています。

■真面目さゆえの自己矛盾

とはいえ、音楽的にみてもコルトレーン・ミュージックの土台が「生真面目さ」から成り立っているのは間違いありません。しかしそれが〝業〟とまでなっているのはコルトレーンが抱えている一種のアンビヴァレンス(自己分裂)が原因ではないでしょうか。

音楽を理論的に捉えようとする傾向と、音楽本来の情緒的な側面の衝突です。大方のミュージシャンはどちらかの方向に偏っていることでそれなりにバランスが取れているのですが、コルトレーンは「どちらも」求めようとするので非常に大変。感情表現にまで論理的整合性をもたせようとするので、その「無理難題」がコルトレーンならではの「音楽的緊張感」を生み出しているのです。

興味深いエピソードとして、マイルスに「どうしたらソロを止められるか」などという珍妙な質問までしているのです。それに対するマイルスの返答がふるっています。「マウスピース(サックスの吹き口)から口を離せばいいんだ!」

これはふたりのジャズ観の違いを端的に表した問答です。マイルスのソロはいわば「ほのめかし」の美学。つまりフレーズを吹き切らず、聴き手の想像力に託す余地を残すことで強い印象を与えている。要するに〝粋〟の美ですね。他方、コルトレーンはというと、生来の生真面目さから「感情表現」をもきっちり「説明」しなければいけないと信じている。結果、ソロが長くなり、晩年は数10分に及ぶソロも珍しくなくなっているのです。

では、そのソロの内容はどうなのでしょう。これは同じテナー奏者ソニー・ロリンズとの比較で考えてみるとよくわかります。

ロリンズもまた表面の豪放磊落なイメージとは裏腹にかなり繊細かつ神経質な人物で、きわめて真剣に「即興とは?」ということに思い悩み、橋の上でひとり練習していたという有名なエピソードの持ち主。しかし実際の彼のソロは、どちらかというとアイデアが降りてくるのを待つタイプ。いわばパーカー直系の天才型。他方、説明好きというか聴き手に対して「親切」なコルトレーンは、自分の吹くソロも「ちゃんとした理由」を求めているフシがうかがえるのです。

ジャズの即興はけっして「思いつき」ではなく、一定の音楽的ルールに添った「その範囲内での自由」なのですが、おのずと「規則と自由」の関係は人さまざま。コルトレーンはというとかなり律儀に規則を捉えている。というか、そうした「裏付け」を必要とするタイプなんです。実際マイルス・バンドにいたころは楽器の奏法自体もまだ完成途上でしたが、それ以上に「吹くべき音」に対する自信も若干不足気味。

たまたまそうした時期に雇用主マイルスから麻薬癖を理由に一時解雇の身となったのですが、その彼を拾ってくれたのがジャズ・ピアノの巨人セロニアス・モンクでした。

彼はそのきわめてユニークなピアノ奏法から異端のジャズマン視されているようですが、モダン・ピアノの開祖、バド・パウエルに音楽理論を教授したことでも知られる大の理論家。そのモンクからみっちり音楽理論を叩き込まれ、「出してもいい音」を身体で覚えたコルトレーンは、見違えるような成長を遂げたのです。

「理論好き」ということは、要するに「努力型」のジャズマンなのですね。このあたりも日本人好みといえるでしょう。これは「天才型」ロリンズとは対照的。また、けっして悪い意味ではありませんが、いわば「計算型」の師、マイルスとも異なっています。

■音楽から情動の表現へ 

ここまで「大づかみ」にコルトレーン・ミュージックの特徴について解説してきましたが、少し具体的に彼の音楽の「聴きどころ」を見ていきましょう。

まずは彼のテナー・サウンドですね。「音自体」が語りかけてくるように聴こえるのはどうしてか? それはコルトレーンのテナーの音色が、あたかもアルト・サックスのように「高域成分」が多いからなのです。

楽器からは、たとえばハ長調「ドレミファ〜」の「ラ」(A音)にあたる周波数440ヘルツの音を吹いたとしても、必ずその倍の880ヘルツ、あるいはそのまた倍の1760ヘルツといった「倍音」が出ており、それらの「倍音成分の割合」によって、楽器の「音色」が異なって聴こえます。サックスは音域によって種類が分かれますが、テナーはアルトより大型なので低域は豊かな倍音を含み、それが音色のふくよかさに繫がります。

こうしたテナーの特性を無視したかのように、あえてコルトレーンは高い倍音成分を含ませた音色でテナー・サックスを吹いているのです。これは目立つ。大型なのでパワー感のあるテナーから、若干無理気味に搾り出す高域に偏った音色のフレーズは、まさに〝コルトレーン印〟付きのサウンドなのです。ちなみにそうしたコルトレーンの高音好みは、やがてアルト・サックスよりも高い音域のソプラノ・サックスへの持ち替えに繫がっていきます。

おそらくマイルスはこうしたコルトレーンの特色をうまく利用した面もあるでしょう。というのも、ブルーで想像力を喚起させるマイルスのトランペットに対し、コルトレーンの即物的とも思える「耳に付く」サウンドは、結果としてマイルスのフレーズを浮かび上がらせる音楽的効果があるからです。これは、パーカーが自身の「ギザギザした」フレーズを際立たせるため、相対的にメローでスムースなマイルスのサウンドを利用したことを思い起こさせますね。

こうした「コルトレーン・サウンド」の圧倒的個性は、入門時代の私のように、アドリブの何たるかもわからない聴き手にもダイレクトに伝わってきます。これもまたコルトレーン人気の秘密のひとつでしょう。

サウンドの次はフレーズです。一見情熱に任せて吹きまくっているようにも思えるコルトレーンですが、彼のフレーズはきわめて論理的。ですから、彼の出す音をしっかりと辿っていくと、面白いことに展開が見えてくるのです。これが説得力に繫がる。結果、コルトレーン・ミュージックは情熱家に熱弁をもって説得されているような充実感をもたらすのです。これが心地よい。

しかし晩年のコルトレーンは内面の情熱を「音楽的に」表現することの「もどかしさ」からか、よりダイレクトに音自体に情動を込めるかのような方向を強めていきます。これはもともと彼の音楽がもっていた傾向ですが、それが極端な方向へと振れていったのです。この時期のコルトレーンはまさに「異端」だともいえるでしょうね。

ともあれ、彼の音楽的論理性はデイヴ・リーブマンはじめ、マイケル・ブレッカーなど次代のテナー奏者に圧倒的な影響を及ぼしました。しかし彼がほんとうに表現したかったのは、むしろ論理の背後に潜んでいる内面の強い情動だったのではないでしょうか。

それはいわゆる「精神性」といわれているもので、そうした部分まで継承したジャズマンはごく一部しかいませんでした。

文/後藤雅洋
ごとう・まさひろ 1947年、東京生まれ。67年に東京・四谷にジャズ喫茶『いーぐる』を開店。店主として店に立ち続ける一方、ジャズ評論家として著作、講演など幅広く活動。

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マイルス・デイヴィス|ジャズを創り、ジャズを超えた「帝王」

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