今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったとはじめて悟りながら、しかもその悟りを利用することができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った」
--夏目漱石

いま、東京・世田谷区の世田谷文学館で、『ムットーニ・パラダイス』というユニークな企画展が開催されている(~2017年6 月 25 日まで)。

自動からくり人形作家の武藤政彦さん(ムットーニ)がつくり出す、不思議で独得の世界。電動式の人形と装置の動きに、音楽や光、そして本人の語りなどが重ね合わされながら、どこかノスタルジックな香りのする物語が目の前の小さな箱の中に展開されていく。

展覧会のパンフレットには、ムットーニ自身による、こんなメッセージが掲載されている。

「ここに散りばめられた物語。それらは次々と光を投げ掛け、幾つもの時間を織り重ねる。それは一瞬世界を照らし、またすぐに静寂の闇を呼び戻す。でもその刹那的な瞬きは、永遠を夢みているのかもしれない。ここは享楽と静寂が入り交じる物語の楽園。ようこそ、MUTTONI PARADISEへ」

ちなみに、私は、SF作家レイ・ブラッドベリの小説『万華鏡』から連想してつくられたという『アローン・ランデブー』という作品がとても好きだ。

ムットーニの作品には、芥川龍之介、中原中也、萩原朔太郎、村上春樹ら日本の文学作品も題材に取り上げられていて、夏目漱石の『夢十夜』第7話も作品化されている(作品名は『漂流者』)。

上に掲げたのは、その『夢十夜』第7話の結びの一節。「何でも大きな船に乗っている」の一行で書き起こされるこの小説、掲出のことばの少し前には「自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ」とあるように、作中の「自分」は航海中の大きな船から海に向かって身を投げてしまっている。

ムットーニ作品では、仕掛け細工の人形が船の上から波の中へ、ゆっくりゆっくり落ちていく姿に、『夢十夜』第7話の朗読と、めぐる太陽の光や船の汽笛の音が重なる。

『夢十夜』第7話は、話の全体が、どこか漱石自身の洋行体験と重なっているように見える。とはいえ、そこにはもう少し大きなテーマが隠されているだろう。

海上をひた走る船は、やみくもに欧化政策を進めようとする日本そのものの象徴とも受け取れるし、否応なくその船に乗せられている個々人は、何かやりきれないものを抱えながらも飛び降りてしまうわけにはいかない。どこへ行くかわからない船でも、乗りつづけていくしか方途はないのであろう。

いやいや、行き着く先もさだかでない航海は、ままならぬ人生航路そのものの比喩であるのかもしれない。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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