「浮世絵は額に入れて飾ると魅力が半減します。直に手に持って見ると、その真の魅力が紐解かれるのです」と語るのは、神奈川大学で浮世絵の公開講座を担当する新藤茂先生。神奈川大学の公開講座「浮世絵随談」の開講を間近に控え、浮世絵の魅力を存分に語っていただいた。

■傾けると着物の模様が浮かび上がる

──2017年4月19日から開講する「浮世絵隋談」ですが、授業ではどんな題材を扱われるのですか?

浮世絵の基本は歌舞伎の当時のスター役者を描いた「役者絵」にあると僕は思っているので、授業ではまず役者絵の話から始めます。役者絵に関連して、歌舞伎や落語、当時の社会情勢についての話もしていきます。

浮世絵は葛飾北斎の「冨嶽三十六景」や喜多川歌麿の「ビードロを吹く娘」など有名な作品も多いですが、僕自身、浮世絵は「実物を見ることが大事」だと思っているので、最初の授業では僕が所有している実物の浮世絵を持ってきて、それを見ながら講義を進めていきます。

――え、実物を見られるんですか! 贅沢な授業ですね。

じゃあ、今日はせっかくなんで、講義で実際にやっているように、いくつか実物の浮世絵をお見せしていきますね。ちなみに、浮世絵の実物を見たことってありますか?

――美術館とか展覧会では見たことありますけど、間近で実物を見たことはないですね。

そうですよね? 展覧会などでガラス越しに浮世絵を鑑賞したことがある人は多いんですが、直に実物を見たことがある人は意外と少ないと思います。ただ、浮世絵は実物を手で持ってみないとわからないことも多いんですよ。たとえば、この役者絵をちょっと手で持ってみてもらえますか?

――はい。黒い着物を着た二人の役者さんの絵ですね……

ちょっとこの絵を、傾けてみてください。そして、黒い着物に注目してみてください。

――あれ! 紙の角度を変えたら、光の反射具合が変わって、着物に文様が浮かび上がってきましたね。

これは、浮世絵の正面摺(しょうめんずり)という技法。絵が摺り上がった後、光沢を出したい部分の下に模様を彫った版木を置いて表面からこすると、こういう文様のあるツヤが出てくるんです。

■額に入れるのは西洋の鑑賞法。浮世絵は手に持たないと

――たしかに。これはガラス越しだとなかなか気づかないかもしれませんね。

絵画というと額に入れて飾るイメージが強いですが、それはあくまで西洋の絵画の楽しみ方です。当時の日本人は、浮世絵は、こうやって手で持って眺める楽しみ方でしたから、こういう絵画技法が生まれたんでしょうね。

――ちなみに、いま素手で浮世絵を持っていますが、手袋をしなくても大丈夫ですか?

よくそう聞かれるのですが、浮世絵は手袋で触っちゃダメなんです。浮世絵は薄い和紙に摺られているので。手袋で触ると指先の感覚がわからなくなって、持ったときにうっかり紙を折ったり、絵をこすったりすることもあるんです。

――なるほど……

もちろん触る前には、手の脂っ気を拭き取ることが大事ですが、実際の指先で厚さや重さを確認したほうがいいんです。これも、「実際に浮世絵に手で触れてみる」からこそ、わかることですよね。

■両目をくりぬいた男も

次に見ていきたいのが、横川彫竹(横川竹次郎)という彫師の作品です。浮世絵師は、歌川国貞(三代豊国)です。これは安政6年(1859年)頃に摺られた作品なので、150年以上経過してますね。

――素朴な疑問なんですが、特に年号などが書かれているわけでもないのに、どうやって作られた年代がわかるのですか?

役者絵の場合は過去にどの歌舞伎役者がどの演目に出たのかという記録が大量に残っているので、作られた年代を特定しやすいんです。それが役者絵のおもしろいところのひとつです。しかも、この絵には、出版年月までわかる改印(あらためいん)と呼ばれる出版許可印があります。

この絵には3人の人物が描かれていますが、これは全部同じ役者で、四代目中村芝翫(しかん)という有名な役者さんです。現代では、「大芝翫(おおしかん)」と呼ばれてます。昨年、四代目中村橋之助さんが、八代目中村芝翫を襲名しましたね。

この一番上に描かれている「景清(かげきよ)」と記された目をつむっている男は、歌舞伎の知識が何もない人が見ると「寝ているのかな」と思っちゃいますけど、実はこれは、平家滅亡後を舞台に、平家の武将・平景清を題材にした有名な歌舞伎の演目なんです。「源氏の栄えるこの世を見たくない」と自分の両目をくりぬいて、信仰していた清水寺の観音様に目を奉納したという人で。

――なるほど、歌舞伎の知識がないと、全然誰なのかわからないですね。

歌舞伎の知識や時代背景を知っているだけで、いろいろイメージが浮かんできますよね。1枚の絵からいろんな情報が読み解ける。それが、浮世絵の魅力なんですよ。

■「派手な絵」と「渋い絵」どっちの浮世絵が高価?

――それにしても、なぜ同じ構図の絵を2枚持ってらっしゃるんですか?

左右ともに同じ構図ですが、色が全然違うでしょう? 見比べてみてください。ここでひとつ質問ですが、どちらのほうが高価だと思いますか?

――右のほうが色彩が落ち着いてるので、高そうな気がするんですが。左は色がピンクや緑で鮮やかなので、後世に作られたもの……という感じがします。

はずれです。左の鮮やかなほうが高価なんです。左のほうが保存状態は良くて、元の色に近い状態です。背景に使われている赤は、作られた当時は同じ色だったと思いますよ。右側は日に晒されたり、保存状態が悪かったりしたせいで、茶色っぽく退色してしまったんだと思います。どちらもおそらく何人もの所有者の手を経てきていると思うんですが、その間にこの浮世絵がどういう扱われ方をしてきたのかも、保存状態を見るとある程度わかる。それも、浮世絵蒐集のロマンのひとつなんですけどね。

――え、左のほうが元の色に近いんですか! 江戸時代の人の色合いというと、渋い色好みのイメージがあるんですが、江戸時代でもこうした派手な色合いが使われていたんですね。

そうなんです。現代の日本人は色が落ち着いていて、ボロボロになったものを「渋い」って思いがちなので、みんな、左が偽物で右が本物なんじゃないかって思っちゃうんですけどね(笑)。

――なんとなく「色が落ち着いているのが粋」というイメージがありますよね。

でもね、昔の日本人は発色がいいものが好きだったんですよ。なんで「渋い色=日本っぽい」と現代人が思ってしまうかというと、保存状態があまりよくないものをよく見る機会が多いから、「当時の人はこういうのが好きだったんだな」と思い込んでしまっているんじゃないかと思います。多分、「渋い色が落ち着いていていい」というのは、明治時代の学者が言い出したんじゃないかと思うんですが。

■今の“粋”のイメージにだまされない

――背景を知らないで「渋い色がかっこいい!」「昔の日本人は渋い色が好きだった」と言うのは、けっこう恥ずかしいかもしれませんね。

ほかにも昔の日本人の色彩感覚を表すものとして、代表的な事例が、奈良時代に建立された奈良の薬師寺です。現在残っているものは東塔のみで、西塔は一度消失してしまっているんですね。その後、昭和56年に当時の色彩を再現して建てられたのが、いまある西塔。その色彩を見てみると鮮やかなグリーンの「青(あお)」や、お稲荷様の鳥居などに使われている鮮やかな赤色の「丹(に)」と呼ばれる色が多用されているんです。「青丹よし奈良の都は咲く花の…」ってね。

それから、仏像も本来は金ぴかだったものが、だんだん金箔が剥げたり、火事があって色が落ちたりした結果、多くの仏像がいまのように渋い風合いに落ち着いているんです。だから、保存状態の良い浮世絵を見ることで、当時の日本人の色彩感覚を学ぶこともできるんですよ。

■これは野山から迷い込んだイノシシ……?

続いては、安政7(1860)年2月の「開港して間もない横浜」を描いた浮世絵を持ってきました。「大判錦絵三枚続」の大作です。これは、おそらく、横浜が開港してから一番早く描かれた浮世絵です。

――うわぁ、こまごまと人が描かれていて、観ていて飽きないですね。

1枚の絵のなかに、すごく細かい情報が書き込まれていますよね。たとえば、この動物。なんだと思いますか?

――なんでしょうか。野山から迷い込んできたイノシシ……ですかね?

一見イノシシみたいに見えますが、これは豚です。当時、日本では獣肉を食べることは禁止されてましたが、中国人は豚肉を食べてたんですよね。近くに中国人風の恰好をした人も描かれているでしょう? おそらく、これは中国人が飼ってた豚を描いたんだと思います。

――横浜はいまでも中華街もありますからねぇ。当時から、中国の人が横浜には住んでいたんですね。

じゃあ、次。これはなんだと思いますか?



■外国人を描いた浮世絵師のジャーナリズム

――このラッパを吹いてる人ですよね? 赤い髪の毛に洋服で、まるで外国人みたいですが……

当時「唐人飴売り」と呼ばれる異国人風の恰好で飴を売る行商人がいたんです。

――あ、じゃあ日本人なんですね。

いや、ここで深読みすると、当時の日本は鎖国政策を取っていたので、日本に住んでいる外国人は原則として「オランダ人か中国人」だったんです。でも、実際はそれ以外の人種も住んでいたんですけど、リアルタイムな状況を、浮世絵上では描いてはいけないことになっていたんです。

――浮世絵の内容にも幕府による規制があったんですか。まさに言論統制というか……。

そう。ただ、これは先ほどもお伝えしたように、開港当時を描いたものでは、一番早く描かれたものです。だから、開港後に外国人が道を歩いていても全然おかしくないんですよ。だから、浮世絵師も「浮世絵に外国人を描いてみて、幕府の反応を見ようかな」と思ったんじゃないでしょうか。この「あめ」というのぼりは、あくまで万が一幕府に「外国人を描いてるじゃないか」と言われても、「いやいや、飴屋ですよ」と言い逃れできるように、こののぼりを描いたんじゃないかと思います。

――なるほど。いろいろなことを「忖度(そんたく)」した結果の絵なんですね! 浮世絵師のジャーナリズムみたいなものを感じますね。

そうです。まさにジャーナリズムです。1枚の浮世絵のなかには、たくさんの情報が詰まっているので、これが全国に発信されることで、当時の世の中に影響をたくさん与えるわけです。だからこそ、幕府も慎重にならざるを得なかったし、逆にいえば、それだけ浮世絵が庶民に支持されていたともいえますね。

■詰め込まれた情報を遊びで読み解く

――ここまで、本当に貴重な絵をたくさん見せていただいてありがとうございました。最後に、先生が考える浮世絵の魅力についてお聞かせください。

僕自身が浮世絵に興味を持ったのは小学校3年生のときですね。ちょうど当時、小学生の間で切手の収集が流行ってたんですが、最初に買った切手が写楽の市川鰕蔵(えびぞう)の切手だったんですよ。それ以来、歌舞伎も落語も、江戸文化が大好きになってしまって。江戸の文化は「遊び」の要素が多いんですよね。あの感覚がなんともいえずに好きなんです。

それから、浮世絵は、ただその場にあったものを写し取るわけではなくて、当時の時代背景や風俗、文化がデータとして絵になっているのもおもしろいですよね。ただの写真とは違う。作者の意図や当時の流行などの情報がたくさん詰め込まれていて、その中からデータを読み解くおもしろさがありますよね。

――現代で言うと、浮世絵はどんなものに近いんでしょうか。

一番近いのはインターネットですよね。最も庶民にとって身近な情報ソースでしたから。1枚の絵のなかに、いろんな情報が入っている。「こういう建物があるんだ」「こういう出来事があったんだ」と、当時の人たちは浮世絵を通じて、他の文化や情報を読み解いてきたわけですから。 僕が一番浮世絵のおもしろさを感じるのはそこなんです。浮世絵を通じて、江戸時代の人々の「遊び」を体験できるところなんです。

――といいますと?

浮世絵っていうのは、江戸時代の普通の男の子と女の子の娯楽だったんですよ。本来は、浮世絵は、勉強して理解するようなものではない。だって、当時の人は勉強しなくても、楽しみ方がわかっていたわけだから。でも、現代人にはわからない。だから、当時の歌舞伎をはじめとした流行や時代の風潮を知ることで、江戸時代の人たちのレベルに近づくことができる。そのレベルに達して、楽しむことが、本当の浮世絵の楽しみ方だと思うんです。江戸時代の人たちが、なんでその浮世絵をいいと思ったのか。そして、どんな風に情報をキャッチしたのかっていうのを、授業を通じて再現してみたいと思ってます。

――江戸時代の庶民と同じように1枚の浮世絵を楽しむ……ということですね。

そう。江戸時代にタイムスリップできるんです。 それから、浮世絵は日本古来の文化だと思われがちですが、浮世絵の研究が始まったのは、明治の末以降なので、歴史が浅い。だから、意外と間違った通説がまかり通っている分野なんです。歌舞伎や落語、小説などといった、当時のいろんな江戸文化がリンクして作られているものだからこそ、何の知識もなく眺めていても、その魅力がなかなか伝わりづらいんですよね。

■予備知識がないほうが驚きが大きい

――先ほどの「景清」のように、歌舞伎の知識がないと、何を描いているかわからないという状況が発生してしまうわけですね。

そう。しかも、眼が見えなくなった景清は、日向島に流されてしまう。そこへ、娘が訪ねてくる。みすぼらしい姿では、娘に父と名乗れない、景清の心の葛藤が泣けるんですね。だから、僕の講義では、浮世絵だけを紹介するのではなく、歌舞伎や落語、数学、当時の時代背景などをからめて浮世絵を読み解いていくようにしています。

――講義の参加者はどんな方が多いんですか?

僕の講座はリピーターが7~8割なので浮世絵にくわしい人は多いですね。もはやその辺の学者さんよりもくわしい人もたくさんいます。定員は30名ですがオーバーして40名くらいになることも多いです。

――何の知識もなく受講すると、レベルが高すぎて授業についていけなくなってしまいそうです……

いやいや、初心者でも全然問題ないです。なぜなら、毎回題材として話す内容は違うんですよ。というのも、今日みたいに講義ごとに僕が持ってくる浮世絵は違いますし、仮に同じ絵を持ってきても、その日の僕の気分で全く違う話になるので。 僕の講義では、基本的に「いつでも質問OK」なんです。仮に僕が話をしている最中でも、疑問があったらどんどん突っ込んでもらいます。実際、素朴な質問から話が展開していくので。

――何も知らない生徒さんはむしろウェルカムでしょうか?

そうですね。むしろ予備知識がなにもない人のほうが、素直な気持ちで授業を受けてもらえるのですごく喜んでもらえます。ゼロから学ぶことで、より浮世絵の世界の深さを知ってびっくりすると思います。

※この記事は小学館が運営している大学公開講座の情報検索サイト「まなナビ」(http://mananavi.com/)からの転載記事です。(文・写真/藤村はるな、2017年3月15日取材)

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