「視聴率はもう一つの打率」長嶋茂雄が語ったテレビに対する思いとは【昭和のテレビ王たちの証言3】

文/酒寄美智子

昭和28年にテレビ本放送がスタート、以来、この新しいメディアを発展させてきたのは、その時々で時代を拓いたエンターテイナーたちでした。かつて雑誌『テレビサライ』では、平成14年の1年間に「私とテレビ」と題して11人の名だたる先達へのインタビューを連載しましたが、それらをまとめた書籍がこのほど『昭和のテレビ王』(小学館文庫)として文庫化されました。

今回はサライ世代のヒーローのひとり、巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄さんの言葉から、“テレビ”とは何かを探ってみましょう。

■1:「ああ、テレビに出られるなんておれは野球をやっていてよかったな、という思いのあったことは覚えています」

長嶋さんといえば、巨人軍のV9に大きく貢献し、昭和49年に現役を引退後、監督として読売巨人軍を2回日本一に導いた“ミスター・ジャイアンツ”。そんな長嶋さんとテレビの出会いは、テレビ放送が開始されて2年ほどが経った昭和30年。長嶋さんが立教大学2年生の頃でした。

「もちろん白黒のテレビで。そのときは、力さん、そう、力道山の出ているプロレスでした。力さんの空手チョップもよかったけれど、世の中にすごい文明の利器が生まれたんだなと、野球部の寮(智徳寮)のなかで、ただただ驚きのまま仲間と興奮しながら見ていました」(本書より)

一方、テレビ初出演は昭和32年の「野球教室」(日本テレビ)。長嶋さんが立教大学4年生時でした。それまでも六大学野球の試合はテレビ中継され、スター選手だった長嶋さんですが、テレビ局のスタジオに出向いたのはこれが初めて。

「今まで見ているだけだったものが逆になって、テレビに出演するっていうんですから。それも、学生の時分でしょ。それはそれはうれしかったですよ。ああ、テレビに出られるなんておれは野球をやっていてよかったな、という思いのあったことは覚えています」(本書より)

その後、巨人軍のスター選手へと成長した長嶋さん。テレビにあこがれたひとりの青年が“テレビの恋人”になるのに時間はかかりませんでした。

■2:「テレビ以上に、やりがいというか、こちらの集中を高められるものはない」

長嶋さんがテレビの力のすごさを強烈に実感したのは、入団2年目の昭和34年6月25日に行われた巨人・阪神戦、プロ野球史上初の「天覧試合」として行われた一戦でのことだったそう。

「忘れもしません。気温が40℃近くあって、ムシムシした日の、あの天気でね。後楽園球場に昭和天皇、皇后両陛下がお見えになりまして。当時の両陛下は公務以外のプライベートでは、いつもテレビで野球を楽しんでいらっしゃったということですよ」(本書より)

日頃、両陛下が野球をテレビで観戦してくださっていると知り、感激した長嶋さん。以降、ユニフォームの着方やヘルメットを飛ばすほどの空振り、スライディングでのホームイン、ファーストへのランニングスローなど、背番号3が繰り出すプレーはテレビで見ているファンをも意識したエンターテインメントとして完成されていきました。

ところで、長嶋さんの持論に「テレビの視聴率は、ファンの気持ちをうかがう、もう一つの打率」(本書より)というものがあります。

「僕は巨人軍入団直後から、(視聴率の)レーティング1%は100万人を意味する数字だと専門家から聞いていました。以前の巨人・阪神戦では30%なんてことがありましたから、そうすると3,000万人が見てるってことじゃないですか。当時の後楽園球場のキャパは5万人でしょう。それもすごい数字ですけれど、テレビで画面に集中してくれる人の数はそんなものじゃない。テレビ以上に、やりがいというか、こちらの集中を高められるものはないと、僕はみてるんです」(本書より)

プレーヤーの志気を高め、ファンとグラウンドの距離を縮め、球界全体の発展に寄与し――長嶋さんにとって、プロ野球界にとって、テレビは常に特別な存在でした。

「テレビというメディアが入ることで、野球全体の意識革命といいますか、それらに及ぼす影響や役割は、大きいでしょうね。日本野球の在り方しかり、また戦術面など、ずいぶん変貌をとげているのは、テレビの力がかなりあるわけですから。(中略)野球を楽しむとなれば、テレビの力に勝るものはないと僕はみています。軍配はテレビに挙げざるをえないでしょう」(本書より)

*  *  *

テレビを通してブラウン管の向こうの人々に愛され、また、自らもテレビを愛し、敬い、ともに高め合ってきた長嶋さん。彼もまた、テレビの歴史を作ってきた“テレビ王”の一人なのです。

【参考書籍】
『昭和のテレビ王』
(サライ編集部編、本体490円+税、小学館文庫)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09406401

文/酒寄美智子