今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「あんた、変な顔をするが、本来、葬式は目出度(めでた)いもんだよ。よく生きて、よく働いて、御苦労さんと言われて死ぬのは目出度い」
--黒澤明

映画界の世界的巨匠、黒澤明は明治43年(1910)東京で生まれた。四男四女の末っ子で、すぐ上の兄・丙午(へいご)に強い影響を受けて育ったという。丙午はその名の通り、明治39年(1906)の丙午(ひのえうま)の生まれ。のちに須田貞明の名前で活動弁士として活躍した。ついでに言っておくと、作家の坂口安吾も同じ明治39年生まれで、本名は丙午だった。

黒澤明は当初は画家志望だった。二科展入選も果たしたが、兄・丙午の自裁などもあって、昭和11年(1936)道を転じて映画界入り。助監督からはじめ、監督11作目となる『羅生門』でベネチア国際映画祭グランプリを受賞した。他にも『七人の侍』『赤ひげ』『椿三十郎』『影武者』など、多くの名作を撮った。

掲出のことばは、その黒澤が晩年に製作した映画『夢』(平成2年)の第8話「水車のある村」の中で、笠智衆演じる老人に言わせた台詞。そこには、黒澤自身の死生観が反映しているのだろう。

劇中、老人はこんな台詞も口にする。

「私達はできるだけ昔の様に、自然の暮らし方をしたいと思っているんだよ。近頃の人間は、自分たちも自然の一部だという事を忘れている。自然あっての人間なのに、その自然を乱暴にいじくり廻し、俺達はもっといいものが出来ると思っている」

驕(おご)ることなく自然とともにある暮らしの延長で、死も恐れずに受け入れていけばいい。そんな思いが読み取れる。

黒澤は一作一生の思いで作品づくりに打ち込むため、1本の映画が完成したあとは廃人のようになって寝込んでしまうことも少なくなかった。この映画『夢』のヒントも、『乱』の完成後、例によって疲れ切って御殿場の別荘で休養している最中に頭に浮かんだという。ロシアの作家ドストエフスキーが人間の見る夢の、常にはあらぬ驚異的な表現力に着目していたのをふと思い出し、それを映画に生かしてみたらどうかと考えついたのである。

一方で、創作のためのメモを記したノートの表紙に、「こんな夢を見た」と大書したことから推察できるように、そこには夏目漱石の『夢十夜』も影響をもたらしていたと見ていいだろう。ご存じのように、漱石の『夢十夜』を構成する10の短篇のほとんどが「こんな夢を見た」で書き出されている。

黒澤は平成10年(1998)88歳で没。彼は若い人たちに向け、こんな励ましのメッセージも残している。

「みんな、自分が本当に好きなものを見つけて下さい。自分にとって本当に大切なものを見つけるといい。見つかったら、その大切なもののために努力しなさい」

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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